FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

主の眼差しの中で

 1月8日は新年礼拝でした。全員ではありませんが、帰省されていた方々もぼつぼつと戻り始め、また子どもたちのところへやって来られた(逆帰省?)ご夫妻も集われ、賑やかな礼拝となりました。

 礼拝後しばらくして、一部の方々と昼食を共にしながら、お交わりの時を持ちました。お交わりの中で語られた内容を通して、「これは年頭から主なる神が私に語ってくださっている」と主への畏れをいだきつつ、襟を正して受けとめることもありました。

 お交わりの後、しばらく一緒に祈るひと時を持ち、いつの間にか祈祷会のようになっていました。祈る終わるといつの間にか雪もやんでいました。礼拝後も、確かに主の眼差しが注がれているという余韻に包まれているような1日でした。

 以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20180107
(250字のエッセンスは、コチラ

 Ⅱ歴代誌14章と15章で、アサ王は信仰をもって歩んだ王として記されています。しかし16章では、アサ王の信仰が小さくなってしまっている様子を聖書は隠さないで記しています。どうして、アサ王の信仰が小さくなってしまったのでしょうか。いくつかの社会的、政治的な要因を考えることができます。しかし聖書は「主と心を一つに」しようとしなかったということ、主の心を求め続けなかったことを明確に指摘しています。

 私たちは、恵みの内に新しい2018年を迎えました。すがすがしいお正月を迎え、新しい決心をし、14章や15章のような主の御業を体験していくことでしょう。しかしいつの間にか、16章のアサ王のように信仰が弱くなっていった、神を愛する愛が冷えていった、神以外のものに信頼をおくようになっていった、そういうことにならないように、「主と心を一つに」することを大切にする1年をご一緒に過ごしていきたいのです。



 主がいつも共におられるということ、それは、共におられる主が私を見つめておられるという、主の眼差しの中で生きていくということです。その主の眼差しのを覚える時、私たちは罪や誘惑に巻き込まれないで歩んでいけるのです。



 新しい年、いろいろな計画を立てていることだろうと思います。無計画はよくありませんが、私たちの計画に信仰を働かせるスペース、神が働いてくださる余地を設けているでしょうか? 自分の頭の中だけで考えていないでしょうか? 自分の計画通りにいく1年を願っているのでしょうか?
  
 私たちが考えていることことよりも、全知全能の主の思いの方が大きくて素晴らしいはずです。神が働いてくださることを体験する1年を期待して、信仰をもって歩みたいのです。主は信じる者と共に働いてくださるお方です。主は主に信頼するものを失望に終わらせません。「これは主だ!」「主が生きて働いてくださった」、「私の力ではない。主の力だ!」と、昔話としての聖書ではない、今も生きて働かれる主をご一緒に体験し、主を賛美しつつ歩ませていただきましょう。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |