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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

お水をください

 年から年中、毎日、朝昼晩と天気予報を必ずチェックする我が妻。一方、出かける用事などがある時だけチェックする私なのですが、冬の土曜日だけは日曜日の天気が気になります。雪が降るのと降らないのとでは、日曜日朝のスケジュールが一変しますからね。

 2月最初の日曜日は、「どうか天気予報が外れますように」という私の祈願(祈りではありません・笑)はかなわず、朝から1時間の雪かきとあいなりました。「礼拝出席者も少ないだろうなあ、雪国では運転の無理はしないで〜」と思っておりましたが、峠を越えて来られる方々がほぼ皆さん集われました。心の底から「えらいなあ」と思い、誇りに思います。偉大な神の祝福を祈らずにはおれません。(でも、降雪時の運転は、無理しないでください)

 礼拝後はお弁当愛餐会、そして分かち合いをした後に、残られる方々で映画を観ました!映画の様子は、今週中に記事にしますね。下記は、礼拝メッセージの断片集です。

20180204
(250字のエッセンスは、コチラです)

 サマリヤの女性が井戸の水を汲んだということ、それはこの女性の生活の現場で主イエスに出会っているということです。水を汲むというまさに生活の只中でも、たとえカラカラに渇いているように思えるところを通ったとしても。聖霊による命の水が溢れ出る体験を主イエスが与えてくださるのです。そこが悲しみの場所でもそれでもいい、そこでその悲しみを慰める聖霊を信じていこうではありませんか。サマリヤとユダヤのような争いの場所にいたとしても、それでもその場所に、平和を作り出す聖霊の働きを求めていく、そうやって主を見上げていこうではありませんか。そういう真の礼拝者を主なる神は求めておられるのです。



 14節から17節の会話の流れは、ちょっと不自然だなあと感じます。主イエスが、溢れ出る命の水の話しをされたので、この女性は「もうここに水を汲みに来なくても良いように、その命の水を私にください」と言いました。普通、水をくださいと言えば、「どうぞ、どうぞ」か「ちょっと待ってね」という返事です。しかし主イエスは「あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われます。

 この話しの流れは、明らかに「?」です。明日、Rさんが勤めている店で「お水をください」ってお客さんに言われたら、「まずご主人を呼んできてくださいますか?」って言ったとしたら、「なんだこのお店は」って思われてしまいますよね(笑)

 サマリヤの女性も「私には夫はありません」と、ぷつんと話しを切ります。彼女にとって一番触れてほしくないところなのです。でも主イエスはそこに触れられます。彼女の罪を暴いて諌めるために触れているのではありません。主イエスは、彼女の一番の痛み、そこにこそ命の水が必要だと、この女性を癒そうとされるのです。今にも折れてしまいそうな、傷んだ葦を折ってしまうこともなく、むしろ強くしようとするのです。くすぶる燈心を消してしまうのではなく、再び燃え立たせるように優しい息を吹きかけるのです。こういう主イエスの真実、人を生かす主の真実をを私たちは礼拝の中で見上げていく、そういう真の礼拝者を父なる神は求めておらえるのです。

   

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