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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

実践神学 【No.227】

先日読み終わった元外務省主任分析官の佐藤優氏が記した
神学部とは何か―非キリスト教徒にとっての神学入門
(新教出版社、2009)は、大学生が読むにはとっても良い本だと思います。

神学部とは何か

この本の中の「実践神学」の項目で、佐藤氏が読者に向かって
悩みがあった時は教会に飛び込むことを勧めている行(くだり)があります。

  「どんな教派の牧師や神父でも口は堅い。
   人の秘密を厳守する訓練を、
   牧師や神父は徹底的に受けているからである。

   また、どんなにいやな話、どんなに変な話でも、
   いちおう最後まで聞く訓練ができている。
   牧師や神父は心の中で『変な人だなぁ』と思っても、
   職業的良心から、話を最後まで聞いてくれる。

   だから本当に悩んで死にたいと思ったときは
   教会に飛び込めばよい。

   このように、様々な人の悩みをどう受け止めるかを
   訓練するのが実践神学なのだ。
   人の生命にかかわる学であるから、
   その重要性がわかるだろう」

ふ~む・・・。牧師はこういう訓練を受けてきたのか・・・・、
と改めて牧師である自分を見つめ直した次第です(笑)

まぁ、しかし言われてみれば当然のことですね。
牧師は弁護士などと同じく法律でも守秘義務が定められています。
また初めて会った人でも、赤の他人でも、どんなに用事があっても、
たとえ夜中であっても、話しを聞いたり、駆けつけたり、
そういうことに対応するのが、牧師の仕事です。

ある方は「牧師は消防士のようなものです」と言われましたが、
まさにそうです。ある意味24時間体制ですね。

ただ佐藤氏の
「様々な人の悩みをどう受け止めるかを訓練するのが実践神学」
という説明は分かりやすいのですが、入口の部分の説明ですね。
「非キリスト教徒にとっての神学入門」だからということもあるでしょう。

牧師は悩みを受け止め、話しを聞くだけではありません。
牧師は問題を解決することはできませんが、
問題を解決して下さる神様のもとにその方を導き、
その人が神様に心を向け、神様と共に歩んで行ける手伝いをします。

jesus

ヘンリー・ナーウェンの言葉を思い出しました。

 「神学的な思索とは、日々経験する苦しみと喜びの現実を、
  イエスの心で思い巡らすことです。
  そのことによって、人々の意識を、
  神の恵みに満ちた導きを知ろうとするようになるまで引き上げることです。
  
  これは困難な訓練です。
  神の臨在は多くの場合、隠されたものであり、
  見いだされる必要があるからです。
  静かで、優しい神の愛の御声は、この世のかん高い、騒々しい雑音によって、
  私たちの耳に届きにくくなっています。

  クリスチャン指導者はまさに、人々がその御声を聞き取り、
  力と慰めを受け取ることができるよう助けるために召されているのです」


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