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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

たらればの世界から

 3月最後の日曜日は、よく晴れた穏やかな1日でした。皆さんと一緒に捧げる礼拝、そしてお弁当愛餐会と分かち合い、午後3時からEnglish Worship。主なる神が確かに私たちの真ん中におられるなあと覚えずにはおれない、千日にもまさる主の大庭にいる1日でした。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 今朝は先週のヨハネ11章の続きで、ようやく主イエスがラザロのもとへ訪れ、姉のマルタとマリヤに会う場面めです。17世紀に活躍したオランダ人の画家レンブラントは、何枚もラザロが生き返る場面を描いているそうです。その内の1枚が下のものです。レンブラントと言えば、油絵で光と影を上手く描く画家というイメージでしたが、こういう絵もあるんですね。

レンブラント マルタとマリヤ

 マルタとマリヤが悲しみのあまり主イエスの足元にひざまずいています。2人を描く線の太さとその動きは、マルタとマリヤの悲しみの深さを表しているようにも思います。そして優しい眼差しで2人を見つめる主イエスが印象的です。


 「主よ、もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」、マルタとマリヤは同じ言葉を主イエスに語っています。深い悲しみゆえの言葉ですが、彼女たちの言葉は過去に縛られている言葉だとも言えるでしょう。「もしこうであれば、あーだったのに」というたらればの世界、後悔の思いが潜んでいます。

 だからと言って、こういう後悔の言葉を放っては駄目だということを言いたいのではありません。人間はそれほど強くないものです。ましてや愛する者の死を前にして、「もっとこうすれば良かった」、「あの時こうしていれば・・・」そういう悔やむ言葉や思いが出て来るものでしょう。

 しかし大切なことは、マルタもマリヤも、共に主イエスのもとへ行っているということです。主イエスのもとでこの言葉を語っているということです。悲しみを抱えたそのままで、マルタは主イエスを出迎えにわざわざ外に出ていき、主イエスに全てを打ち明けるのです。その中で、2人が少しずつ信じる世界の広さ深さに招かれていくのです。


20180325
(250字のエッセンスは、コチラです)

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