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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

何度もひっくり返ってもよい言葉です

 4月1日のイースター礼拝。白百合が飾られた礼拝堂で、復活の主イエスを心から喜びました。SさんやTさん&Gさんも集われ、嬉しさも一入(ひとしお)です。礼拝後は、お弁当愛餐会で子どもたちの進級祝福式をし、大人の皆さんが隠したタマゴ(タマゴ型ケースに入ったお菓子)を探すゲームをし、子どもたちは大興奮でした。

 Iさんが、春らしいネクタイを締めておられました。「イースターですから♫」とのこと。普段と変わらない服装だった私は、ちょっとだけ恥ずかしい思いに(笑)皆さんにもその旨をお伝えし、「仮装はいりませんが、イースターぐらい着飾ってきても良いのですよ!」とお伝えしました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 マルタは「もう4日も経っていますから」と言いました。いくら主イエスでももう無理です、手遅れだと、主イエスの命の力に制限を設けて、死の力、現実の方が強いかのように思っているのです。私たちも痛みや混乱、この現実がずっと続いていくような思いを持っていないでしょうか。そこに主イエスを信じる信仰があるでしょうか。もし主イエスが働かれる余地を残していないとしたら、それは不信仰だ、「その石をとりのけなさい」と今朝、主イエスは私たちに語られるのです。


 
20180401
(250字のエッセンスは、コチラ

 ラザロはキリストの声を聞いてそれに従って墓から出てきたのです。「手と足がぐるぐる巻かれているから、出ることはできません」とは言いませんでした。「顔も布切れで巻かれているから、前が見えないので出られません」とも言わなかったのです。言い訳も、自己弁護も、現状がどうだとか、先行きが分からないからとか、そういうことは言いませんでした。主イエスの声の方向へ、進み出ていったのです。



 主は墓の前で、「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします」と祈られました。この41節だけでも、聖書を読みながら何度もひっくり返ってもよい言葉です。普通は、ラザロが生き返ったのを見て、「主よ。願いを聞いてくださって感謝です」と言うのでしょう。しかし私たちの主イエスは、神の御心ならば必ずなると信じているから、先に感謝が口から出てくるのです。まだラザロが生き返ってないのに、天を仰いで「主よ。感謝します」と祈られるのです。

 主イエスは「父よ、ラザロを生き返らせてください」との祈ったのでもありません。むしろ「生き返らせてくださることを感謝します」という信仰の祈りを主イエスは捧げたのです。さらに主イエスは墓の中にいるラザロに、「ラザロよ。生き返れ」と命じたのではありません。大声で「ラザロよ。出て来なさい」と、全身全霊で、愛をもって呼びかけたのです。

 今朝、主イエスは私たちのためにも祈られる。私たちの不信仰がダメだとか、いつも同じ失敗をしてとか、そういうところが変えられるようにとか、そんな祈りを捧げていませんよ。「父よ、私の愛する◯◯姉を、◯◯兄を、感謝します」(全員名前を呼べなくてゴメンなさいね)、そうやって私たちの全存在を愛し、受け入れ、私たちを喜び、感謝に包んで、今も祈られるのです。立派に成長しているわけでもない私を、主イエスは感謝で包んで祈ってくださっているから、「ラザロよ、出て来なさい」という声に、古い自分にとどまらないで、主イエスを信じて、命の信仰を持って歩むことができるのです。



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