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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

分からないけれど、いいもの

 4月8日の日曜日。毎週のように、いや毎週必ず日曜日の朝があるって、嬉しいことですね。そのことを噛みしめながら、復活の主をたたえる賛美を捧げた礼拝でした。

 この日は特別礼拝で、森下辰衛先生が聖書のメッセージを語られました。聖書を開いていても、また聖書の言葉が語られていても、聖書のメッセージが語られていないこともないわけではありません。(ややこしい表現ですね・笑。もちろん、受け取り方の姿勢も大いに関係しています)森下先生の場合は、そんなに聖書を開かないのに、きちんと聖書のメッセージを語ってくださいます。味わい深い、聖書のメッセージでした。

 以下は私のミミズが這っているかのメモと、ストーブのうららかな雰囲気の中での記憶を思い起こしてのメッセージ断片集です。文責と分析は、私にあります。

20180408

 水野源三さんは、「伏す窓に木の葉舞い降りわが祈り一つは聞かれ一つは聞かれず」と詠われました。下から上を向いている眼差しは、祈りの眼差しです。「一つは聞かれ一つは聞かれず」。祈りが聞かれたことが最善であれば、祈りが聞かれなかったこともまた最善ではないでしょうか。

 綾子さんは、「祈りが聞かれない時は、楽しくなるの。神さまはどのようにしてくださるのかなあ」と仰られていました。聖書は「希望は失望に終わらない」と教えています。もし私たちの願う希望が失望に終わってしまったとしたら、それは希望ではなく欲望だったのかもしれません。



 「春の雪だるま」という絵本があります。(絵本の物語を紹介)この雪だるまは人の心を現しています。3度、忘れられた雪だるま。しかし春は雪だるまを忘れなかったのです。溶けなければならないもの、崩されなければならない自分、そこに白い花が咲き始めるのです。希望を真に待ち望んだ者だけが、花を咲かせることができるのでしょう。



 主イエスは「わたしの願うようにはでなく、あなたのみこころのように、なさってください」と祈られました。私たちに先んじてそのように祈ってくださった主イエスがおられます。だからこそ、私の願いはこわれていったとしても、私の希望が崩れさったとしても、「私の願いではなくあなたの御心で良かった。こんな花が与えられました」と言わせてくださいます。「(今はまだ)分からないけれども、いいもの」を待ち望んでいきたいのです。



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