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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ひもすがら、夜もすがら、道すがら

 4月22日の日曜日、前日は24度まで気温が上がったかと思うと、この日や月曜日の最低気温が氷点下ぐらいまで下がっているという、寒暖の差が大きい北見です。

 礼拝後はお弁当愛餐会、午後3時からはEnglish Worshipでした。豊かなひと時を過ごすことができて良かったです。いつもは車で来られるのに、自転車で教会に来られた親子と大学生もおられ、健康的でとっても良いですね〜。
 
 春のイースターが過ぎると、教会歴では「ペンテコステ」を迎えます。だいたい5月か6月のペンテコステの前後に、毎年「使徒の働き」から主の言葉を分かち合っています。昨年は13−14章、パウロとバルナバの第1回目の海外宣教でした。今年は15章からです。以下は礼拝メッセージの断片集です。 

20180422
(250字のエッセンスは、コチラ

 今日の主題「道すがら」です。3節にある「道々」という言葉は、口語訳聖書では「道すがら」と訳されています。エルサレムへ向かう道すがら、その道々ということですが、今朝は「問題解決への道すがら」という意味合いで、問題解決に向かっていく過程、つまりその道すがら、どういうところを大切にしていくべきか、初代教会の姿からご一緒に学びましょう。



 問題解決に向かうその前に、私たちは聖霊の知恵を頂いてそれが枝葉の問題なのか、本質の問題なのかを見極める必要があります。本質のところは譲ってはいけません。信仰的に「NO」と言うことで、時にはその場の空気を乱すかもしれません。しかし流されないで、信仰の核心の部分、本質は大切にしていく必要があります。一方、もしそれが枝葉の部分であるならば、そこは目くじらを立てないで寛容になることこそが大切です。

 えてして、私たちがこだわっていることが枝葉の部分が多くあり、そこで寛容になれないがために大切なものまで壊れてしまうことがあります。また本質的なものなのに、まるでそれが枝葉の事柄のようにうやむやにして流されてしまい、信仰の軸がぶれ、その結果、信仰の喜びまでもなくしてしまうことがあります。



 パウロたちは、まだ問題は解決していないけれど、その道すがらも、つまりプロセスも、大切にしたのです。問題解決に至るそのプロセスの中で、神が働いてくださっていることを認めているのです。まだエルサレムに着いてもいない、割礼の問題が解決したわけでもない、その道すがら、パウロとバルナバは神の恵みを認めて証しして、出会う方々と共々に大いに喜んでいるのです。

 私たちは自分の気にかかっている問題が解決するまで、心が重たくなります。もうまるで、悲劇のヒロインのように、その問題のために世界の終わりのような気持ちにさえなります。気になっていること、祈っていること、答えがまだ見えないことも確かにあります。しかし問題が解決していなくても、そこに至る道すがらも、主は生きて働いておられます。私たちの毎日の歩みに、1日たりとも休み無く神の恵みは私たちに注がれているのです。1つのことが心の重荷になり過ぎて、今日与えられている神の恵みを見失ってはいけないのです。

 目的地に行くことだけが目的ではなく、通過点と思われるところにも神の計画・働きがあります。そのことを見つめながら、主なる神ご自身を喜び、主の恵みを数えながら、今週も主と共に歩んで参りましょう。賛美しましたように「ひもすがら証しせん、夜もすがら主をほめん」、そして「道すがら」神を喜んで参りましょう。



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