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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

あなたがそばにいるだけで

 母の日の日曜日、私は紋別へ向かいました。礼拝を共に捧げ、午後からはHさんの米寿をお祝いしました。激動の昭和、そして紋別の教会の歴史を、その目で見つめられ、その足で歩いて来られたHさん。この日まで本当にお疲れ様でした。そしてこれからもよろしくお願い致します!

 お祝い会の後に役員会、そして母の日ということで2名のご婦人を訪問に行きました。残念ながらお2人ともお留守でしたが、書き置きと共に小さなプレゼントを残してきました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20180513
(250字のエッセンスは、コチラで)

 夫エルカナの言動も、深く悲しむハンナを慰めることはできませんでした。皆さんは、夫エルカナの言葉をどのように受け取るでしょうか?

 (8)「ハンナ、なぜ泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか」

 男性は「エルカナはなかなか良い言葉を言っているじゃないか」と思うかもしれません。しかし、ここでの問題は「なぜ?」と三度も問うといることです。「なぜ泣くのか?」「なぜ食べないのか?」「なぜふさいでいるのか?」と。この「なぜ?」は、相手の気持ちを受容しようとしていない現れなのです。

 「なぜ?」ではなく、「そうかあ、涙が出てくるんだねえ」「食べられないほど辛いんだあ」「心がふさいでしまうこともあるよ」と、完全に理解できなくても、相手の気持ちに寄り添おうすること、それが正解に近いのでしょう。

 さらに後半の言葉は、「ハンナ、私がいるじゃないか。10人の子どもがいるよりも、私がいるじゃないか」と言っています。これは、女性の心を分かっていない典型的な夫の言葉です。男性は「俺がいるじゃないか、俺はお前のために一生懸命働いている」と思いやすいものです。

 ハンナが慰められるには、「ハンナ、『あなたは』わたしにとって10人の子どもよりもまさっているではないか」「子どもがいなくても、ハンナ、あなたがそばにいるだけでそれだけでいいんだ」という言葉こそが、真の慰めになっていくのでしょう。



 心を注ぎだすとは、神に全てを委ねるということです。全てを知っている神の前に自らをさらけ出し、そしてこの身も心も魂も全てを委ねていくのです。過去の痛みも、現在の状況も、これからのことも全て永遠の神に委ねていくのです。

 そういう心を注ぎ出す祈りの中で、ハンナは「万軍の主よ」という呼びかけています。この「万軍の主」という言葉は、Ⅰサムエル記で初めて登場する言葉です。「私の存在は小さい存在でしょう。でも私の信じる主よ、あなたは天と地の全てを造られた偉大な神であり、人にはできなくても、あなたにはできないことはありません」、そういう意味を込めてハンナは「万軍の主よ」と祈り、神に全てを委ねていくのです。



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