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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

何も足さず、何も引かず

 5月最後の日曜日、礼拝の中で1ヶ月の感謝を数えました。難しい免許を取れた方、新しい車が与えられた方、試験に受かった方、無くした財布が無事に届けられていた方などなど、小さなことから大きいなことまで、ご一緒に感謝を捧げました。

 お弁当愛餐会(昼食)の後、分かち合いの時、そしてEnglish Worshipと続きました。前の週が出張だったので、珍しく説教準備が土曜日の夜中、日付を越えてしまいましたが、身も心も魂も支えながら、主の日の務めをすることができました。下記は、礼拝メッセージの断片集です。

20180527
(250字のエッセンスは、コチラ

 聖霊が注がれて誕生した主のキリストの教会。聖霊に満たされていた初代教会。激しい議論があったとしても、その中で心を静めて、意見が違っても耳を傾けていく、そういう力を聖霊によって与えられていたことがよく分かります。



 真実な神を語る人は、事実を語ります。自分が有利になるように話しを作ったりしません。事実に足したり引いたりしません。真実な神の前で生きているので、事実を曲げてしまうことは、真実な神への冒涜になるからです。よくTさんが「神様は見ておられるとGさんが言う」と話されます。その通りです。真実な神が私たちを見つめておられるから、不真実なこと、偽りや誤魔化すことにブレーキをかけることができるのです。



 連日のように報道されている学生スポーツ。「私はそのような指示していない。選手がしたことだ」と監督が話しています。国のトップが「私は指示していない。官僚が忖度してしたことだ」と言っていることに似ているな気がします。自己弁護、自己保身が目的となっている言葉に、誠実さが感じられないのは悲しいことです。

 将来ある20歳の学生が、名前も顔も出して自分の非を認める会見を行いました。「指示があったにしろやってしまったのは私なわけで、人のせいではなく、やってしまった事実がある以上、反省すべき点だと思う」もっと言い訳もしたいでしょう。しかし事実を事実として認め、自分の非を認め反省する、そういう誠実さを、これからの人生にも持ち続けていけるように、嫌にならないように、祈りとエールを送るものです。



 教会の中でも意見が違うということも当然出てきます。皆が同じ意見ということは不自然でしょう。皆が同じ意見だと、それはもしかしたらマインドコントロールの世界になっていきます。それでは教会の中で意見が違う時、私たちはどうしたら良いのでしょうか。事と場合によっては多数決など、民主的に決めることもあります。しかし大切なことは、このエルサレム会議のように、聖書は何と言っているのか、私たちの土台である神の言葉に立っていくこと、それが教会の基本です。誰が何をどのように言っているのかということに耳を傾けつつ、そして根本は主なる神はどのように願っておられるのか、聖書はどのように教えているのか、一緒に祈りつつ話し合っていこうではありませんか。



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