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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

人はどちらかに偏りやすいもの

 6月最初の日曜日、晴れ渡る青空が広がり、ちょっと暑かったですね(翌日の月曜日は32度を超えていましたし、今日も暑いようです、北海道の6月なのに・・・)。礼拝では聖餐式の恵みに与りました。嬉しかったことは、祈祷会で心を込めて祈ったことに、まさにその時間帯に主が働いてくださったことを分かち合えたことです。

 午後からは、SL会(Servant of the Lord)を持ち、大切なことを確認し、話し合うことができました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 初代教会は「聖霊と私たちは」ということを大切にしていました。今回、この使徒15章を読みながら、以下の違いはとても大切だなあと教えられました。

 ✕「私たちは・・・」→聖霊の導きの中で決めたということ
 ✕「私は・・・」→自分を主張し合わないということ
 ✕「聖霊と私は・・・」→聖霊は教会全体に働かれる
 ✕「聖霊は・・・」→聖霊は私たちと共に働かれる
 ✕「私たちと聖霊は・・・」→主導権は聖霊にあるということ

 「聖霊と私たちは」、この信仰のスタンスを大切にしていくことが主の教会の姿勢です。聖霊は私たちと共に働かれるのです。



20180603
(250字のエッセンスは、コチラ

 伝道の書7章16節に「あなたは正しすぎてはならない」と記されています(皆さんで3度読みました!)。私たちは正しいこと、正解を求めてます。それはとても大切なことです。しかしもし自分の思う正義だけを突き通していくならば、そこには裁きが残ることになります。「これが絶対に正しい、だからこうしなければならない」という正しさだけを声高に主張し、間違いや失敗が赦されないとするならば、そこには冷たいものが残ります。

 反対に「まあいいじゃないか、水に流そう」「神は全てを赦してくださるのだから」というようになってもいけません。正義の無い愛は、真の愛ではありません。愛の無い正義は裁きに陥り、殺伐としていきます。また正義の無い愛は甘えや我がままに陥ります。人はどちらかに偏りやすいものなのです。



 エルサレム教会は手紙だけを送ったのではなく、わざわざバルサバとシラスを遣わしました。大切なことだから、誤解のないように口頭でも説明する必要があるということです。また2人は手紙の内容を説明しただけではなく、さらに多くの言葉でアンテオケ教会の皆さんを励ましました。

 エルサレム教会の一部の方々が混乱を与えたこと、悩ませたことに痛みを覚えていたのでしょう。2人にとっては片道600km以上の物理的な距離以上に、心の距離の方が身に応えたのでしょう。だからしばらく滞在して、何日もかかるほどの多くの言葉で、励ましの言葉を語り続けるのです。1週間かけてでも直接会いに行く、そういう人を通して聖霊が励ましの輪、力づけられる輪をそこに創り出してくださったのです。

 愛する兄姉、大切な関係であるならば、また本当に大切なことならば、メールだけにしない、SNSだけにしない方が良いと思うのです。大切なことは出来るだけ直接会うのです。物理的に無理ならば、せめて電話をかけるのです。そういう中で、私たちの内にある霊の部分、人格の部分に聖霊が働いてくださり、誤解や勘違い、心の中のしこり、そういったものをほぐしてくださるのです。そして聖霊が目の前にいる人を励まし、力づける言葉を与えてくださいます。聖霊は私たちと共に働かれるのです。



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