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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

心の荒れ模様は

 先週の土曜日から紋別で1泊親睦会、そして日曜日は北見&紋別の合同礼拝でした。1日目のミニ運動会で、足がもつれるくらいに本気になったので、体のあちこちが悲鳴をあげ、妻はおばあさんのようになって歩いています(笑)日曜日の合同礼拝とそれに引き続く昼食と分かち合いの時は、神の恵みを思う祝福に満ちたひと時となりました。また、後日の記事で報告します。以下は礼拝メッセージの断片集です。

20180701
(250字のエッセンスは、コチラ

 有名なマタイ11章28節。「全て疲れた、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と主イエスは招いてくださいました。主イエスを信じ、主のもとに行き礼拝を捧げ、主と共に歩み続ける者の幸いは、休み、安らぎが与えられるということです。

 ここで注意すべきこととして、「わたしのところに来なさい」と言われた主イエスのもとで「休む」というとを、「重荷を降ろす」ことだと考えてしまうことです。しかしここで主イエスは「重荷を降ろしなさい」とは一言も仰っていないのです。主イエスは荷物を下ろして楽な姿勢になることを「休み」や「安らぎ」とは呼んでいません。むしろ「わたしのくびきを負い」なさいと勧めるのです。(くびきの説明・・・)

 つまり、私たちが重荷と思っているものを投げ出すのではなく、過去や現在のことを無かったことにしていくのでもなく、主イエスから与えられたくびきとして受け取っていく時、そしてくびきだからこそ主イエスが共に担ってくださることを知る時、重荷が重荷ではなくなっていくということです。それは軽い荷となっていく、それが主イエスと共に行きていく者に与えられる安らぎなのです。



 私たちは「心優しく」なれなくて、ちょっとしたことで心が波だつことがあるでしょう。「謙遜」になれなくて、偉そうにものを言い、心が驕り高ぶってしまいます。「寛容」や「謙遜」が、私たちの心から小さくなるほどに、安らぎも小さくなり、心の荒れ模様はさらに大きくなっていきます。主イエスから学ぼうとしないと、「寛容」や「謙遜」からますます遠くなっていくのです。

 十字架と復活の道を歩まれた主イエスから、私たちは心の優しさという寛容、へりくだりという謙遜を学び続けていきたいのです。その時、ピラトが不思議に思うほどのあの平安、真理に立つ者の本当の強さ、全てを父なる神に任せていく謙遜を、私たちも聖霊によって与えられていくのです。



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