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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

避けていたいなあ

 8月最初の日曜日。妻とMさん一家は紋別へ行きました。何とKさんまでも紋別に行かれていたことを知り驚きました。紋別でも驚きの声が上がったようです。Dさんが往復の運転をされ、帰りの車の中では他の3人は爆睡していたようです。Dさん、ありがとうございました。(先週、K君と野外キャンプに出かけ、2人の足に虫刺されの跡が100以上もあり、痛々しかったです・・・)

 北見では久し振りにMさんが集われたり(北見にはけっこうMさんがおられますね)、Cさんの友人であるBさんも集われました。子どもたちは妻が居ないのを良いことに(?)、大きな声で母子室で騒いでいましたが、喧嘩をすることもなかったので、たまには良いでしょう。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20180805
(250字のエッセンスは、コチラ

 今日の主題を「主の御顔を避けて」としました。1章3節にこの言葉が2度出てきます。口語訳聖書では「主の前を離れて」、英語の聖書「主から逃げ出して」と訳されています。私はこの新改訳聖書の「主の御顔を避けて」という訳が、とても象徴的で、ヨナの心情をよく表していると思います。



 自分の国・イスラエルに対しては、大きく用いられたヨナでした(Ⅱ列王記14章25節)。しかしアッシリヤのニネベに対しては、神の言葉を無視して主の前から離れてしまったヨナでした。

 同じように、主が私たちたちになたに示されていることで、喜んで従えることがあります。それはぜひ継続してください。しかしヨナのニネベに対する思いのように、主が語っておられるにも関わらず、「嫌だなあ、大変だなあ、避けていたいなあ」と思っていることがあるかもしれません。しかし主なる神は、そこにこそ恵みを与えたい、奇跡や和解、救いを与えたいと願っているのです。曖昧にしないで、避けないで、主が示されていることであるならば、それに従う力をも与えてくださるのです。



 私たちの主なる神は、私たち自身を見捨てることができないお方なのです。私たちがヨナのように神の御声を無視して、またアダムとエバのように(創世記3章8−9節)神の御顔を避けてしまうようなことがあるかもしれません。しかし主は私たちの声を聞き、「あなたはどこにいるのか」と私たちを探し出される神なのです。そして同時にニネベを見捨てになられなかったように、私たちの周りにいる方、こんな人と思うような方も、見捨てることができないのです。むしろ私たちにとってのニネベに、主は私たちを遣わしたい、それが主の心なのです。



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