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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

わたしにはよくわかっています

 8月26日(日)、温帯低気圧に変わった台風の影響を心配していましたが、オホーツク地域は早くも秋晴れのような、気持ちの良い天気でした。礼拝、お弁当愛餐会(昼食)と豊かな分かち合い、English Worship、と主の大庭にいる1日を過ごしました。

 特に昼食後の分かち合いの時、皆さんの一言一言に大いに励まされました。語っている皆さんは、当然ながら特に私を励まそうとか思っているわけではありませんし、いわゆる良いこと、感動的なことばかりを話しているわけではありません。それでも、いやだからこそ、そういう主の前に誠実に歩んでいる姿を通して、牧師としての私は励ましを覚え、そしてまた祈りに覚えていくのでしょう。いろんな出来事にありながら、夫婦の麗しい姿もそこにありました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20180826
(250字のメッセージのエッセンスは、コチラです)

 人間味とか人間の資質の良さ、またベストを尽くすことは大切です。そしてある程度はそれで上手くいくでしょう。しかし、どんなに良い人でも、どんなに努力しても、それでも乗り越えられないものが起こってくるものです。主なる神によって、神の方法でなければ、乗り越えることができないことがあります。そのように自分の力では、どうしようもないことがある、その時、人はますます神に祈り始め、主の名を切に呼び求めるのです。



 この嵐は、神の裁きや怒りを現しているのでしょうか? 確かにそういう一面もあるでしょう。しかし、神の怒りであったとしても、それは人間の怒りとは異なります。人が怒ると破壊的になり、物を壊す、人間関係を壊し、自分や人を傷つけます。しかし神の怒りには、目的があります。神の怒りは、人を罪に定めるための怒り、人を罰するための怒りではありません。人を悔い改めに導くものです。言うなれば、怒り続けるための怒りではなく、怒りを静めるための怒り、人悔い改めて本心に立ち返るための神の怒り、つまりそこには愛があるということです。



 「わたしにはよくわかっています」とヨナは言います。「どうせわたしが悪い、分かってますよ」という感じです。しかしこの「わかっている」ということが曲者です。本当は分かっていないのです。この嵐が起こる本当の理由を、ヨナは分かっていないのです。その嵐は罰するためではなく、全ては神の愛を知るためのも、神の愛を知ってほしい、そういう主の願いが根底にあるのです。



 悔い改めとは、「あなたには悔い改めが必要だ」「あなたは悔い改めなければならない」というようなことではないでしょう。だからと言って、悔い改めが必要ではないということでもありません。「あなたも悔い改めることができる」「あなたの罪は赦される」、そういう愛や赦しを土台としたものこそが、真実な悔い改めを呼び起こします。そういう真実な愛を知る時、「どうぜ謝ればゆるしてもらえる」というような次元の悔い改めにはならないのでしょう。



(1日1章 ヨシュア記9章

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