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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

答えとは

 本当は、昨日が投稿予定だった「礼拝メッセージの断片集」です。しばらく間、ヨナ書を分かち合っています。北見では講壇交換、海外宣教礼拝と特別礼拝が続いていたので、私が講壇に立つのは久しぶりだなあという感じがしました。以前は特別講師が続いた後に私が講壇に立つと、何となく「外食続き」のような満腹感を感じていましたが(あくまでも私の印象です)、今回は飢え渇きを覚えているような感じがしました。そういう意味では、成長・成熟を感じました。

20180916
(250字のエッセンスは、コチラ

 ヨナ書と聞けば、あるいはヨナと言えば、私たちはすぐに大きな魚の存在を想像するでしょう。初めてヨナ書を読んだ人は、びっくりぎょうてんするかもしれません。「大きな魚がヨナを助けるなんて、そんなことがあり得ることなんだろうか」など。「この巨大な魚とは何だろうか? 鯨? 魚の腹の中で人が生きることができるのか?」などなど、色んな疑問、驚きが沸いてくることでしょう。

 しかし私たちが聖書を読む時に大切にすべきことがあります。それはこのヨナ書の場合、魚に着目するのではなく、魚を備えて下さる神に目を留めるということです。そして私たちの人生にも、大きな魚のようなもの、そういう出来事を備えておられる神がおられると受け止めるのです。それは人々が驚き、怪しむようなこと、私たちの理解を越えたことかも知れません。しかし私たちを助けるために、救うために、主は私たちの人生にも大きな魚を備えておられるのです。



 祈りが答えられるとは、一体どういうことでしょうか。もちろん私たちが願い、祈っていることに対しての答えを、主なる神からいただくということです。しかし、その前にと言っていいでしょう、祈りの答えとは、祈りの中で神の御声を聞き、祈る者自身が変えられていくことなのです。

 答えというのは、単なる回答ということではりません。「応答」と言う方がよいでしょう。私たちが祈り、声を上げて神を呼び求めていくその時、確かに主なる神は、私たちと人格的な交わりをなされ、内側の深いところに触れてくださいます。そして、周囲の何かが解決してく、誰かに大きな変化が与えられていくというその前に、いや本質的にと言ってもいいでしょう、まず祈る私自身が神の思いに触れて変えられていく、それが祈りの答えであり、祈ることの素晴らしさなのです。



 今回の地震を通して、主が備えてくださっていること、主が答えてくださっていることがあるはずです。単に大変だったということに終わらせてはいけません。荒野と思うようなところで、主が備えておられるものがあります。そして主の声、主の答えがあります。混乱しか見えないと思うところに、既に主が備えておられる良きことがあるのです。救いは主のものなのです。



(1日1章 ルカ7章「安心して行きなさい」)

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