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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

当然のように

 11月25日(日)の礼拝では、ギデオン国際協会の報告と祈りの時を持ちました。今年はこの広いオホーツク地域で、3517冊の聖書を配布されたとのことでした。ある高校では全校生徒が45人という、山間(やまあい)にある学校にも配布にも行かれたとのこと。「教会の腕」としての働きのために、心からの祝福を祈りました。

 また子ども祝福式、誕生者祝福祈祷の時も礼拝の中で持ちました。お弁当愛餐会と分かち合い、そして午後3時からはEnglish Worshipと続きました。恵みの1日を過ごしました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20181125
(250字のエッセンスは、コチラ

 肉の性質とは、神の思いよりも自分の思いを優先していく生き方のことです。神の当然ではなく、自分の当然に立っているということです。そういう肉の性質を抱えたままでいる時、いのちとは反対の方向に進んでいきます。それはヨナのように人生が不愉快になり(4:1)、自己正当化や自己弁護、そして責任転嫁が多くなり(4:2-3)、怒りりが湧いてきて(4:1,4)、生きることに疲れてしまい、生きるのが嫌になってしまいます(4:3)。



 謙遜とは、自分は思い込んでいるかもしれない、間違っているかもしれないという心を持っているという様でしょう。自分の味方を絶対的に正しいとしないで、それは一面的かもしれないと思える心です。そして同時に、自分が間違っていたら、自己弁護や責任転嫁せずに素直に認め、真実に従う力も備わっていると言えるでしょう。

 信仰成長・成熟の鍵は、何をどれだけしたかということではなく、どれだけ謙遜に生きたかということに関係しています。謙遜とは他者との戦いではなく、自分自身の内にある肉の性質と戦っていく心の姿勢を備えています。



 自分を不愉快にさせる人があれば、私たちは当然不愉快になるでしょう。しかし、そこで不愉快にさせられてしまう相手と戦うのではありません。不愉快を募らせてしまわないように、自分の肉の性質と戦っていく、それがキリスト者の道なのです。自分を苛立たせるあの人が当然のように悪いと思うでしょうし、当然そうかもしれません。しかし私を苛立たせるあの人が悪いんだと当然のように断罪してしまわない力、また私を苛立たせるあの人を変えてくださいと願うこと以上に、苛立ちを抱えてしまう私自身をこそ聖霊によって変えてくださいととりなせる力、これが主イエスの与える本物の力です。



 礼拝の中で様々な祈りや報告などがあったものの、今回の内容はとても豊富でした。そこで明日も礼拝メッセージの断片集の続きを掲載します。

(1日1章 使徒6章「苦情を申し立てた」)

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