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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

聞こえてくるのです

 アドヴェント第1週は、「希望」のキャンドルを灯しての礼拝でした。毎年のことですが、初めて教会でクリスマスを迎える方々がおられること、そしてこの季節にしか歌わないクリスマスの賛美なので、「どんな賛美だったかなあ」という気持ちが見え隠れする歌い出しでした(笑)それでも何度か賛美する中でメロディを覚えられ、クリスマスの恵みに思いを馳せました。

 ただ、聖書のメッセージはヨナ書の続きからでした。ヨナ書の講解をしているのですが、年をまたぎたくなかったので、残り2回、この日と今年最後の礼拝でヨナ書をまとめることにしました。もちろんアドヴェント(待降節)ということで、メッセージの最後は、主題に沿ったクリスマスの出来事でまとめています。以下は礼拝メッセージの断片集です。

20181202
(250字のエッセンスは、コチラ

 ヨナはとうごまという外的な条件を喜びました。しかし、誰がなぜそれをくださったのかということを考えることはしませんでした。そこにヨナの喜びの限界がありました。そしてそれゆえに、とうごまを与えて下さった神様への感謝が伴っていない喜びだったのです。

 私たちの喜びが、その喜びを与えてくださった神様と結びついてないなら、何かの拍子にその喜びは裏返ることになります。とうごまという外的な条件が取り除かれると、たちまち不機嫌になったヨナのようにです。



 ヨナは、悔い改めたニネベの人々のことを喜ぶことはできなかったのです。他者を祝福できないヨナ、隣人を喜べないヨナの人生は、心がかき乱されているのです。

 私たちも隣人と一緒に笑い合えない、喜びを共にすることが難しいこともあるでしょう。しかしそういう方々のマイナスばかり数えていると、私たちの内に喜びがなくなり、殺伐としていきます。神を喜び、隣人を喜ぶ道を、救い主である主イエスが開いてくださるのです。



 ヨナ書はヨナではなく、神が主人公であり、神の忍耐と憐れみと愛の出来事が記されています。自分で自分の人生に見切りをつけている人々がいるかもしれません。ヨナも生きることが嫌になった人物です。「でも、神様は私を見切ることはされなかった」、「私は神様の愛と忍耐で、もう一度立ち上がることができた」、「あなたのすぐそばに、同じ神様がいるんですよ」と、生きることを喜べるようしてくださる神のあわれみがヨナ書が聞こえてくるのです。



(1日1章 使徒13章「信じないような事」)

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