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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

悪い知らせを聞くこと

 夜中に、また朝早くに電話が鳴るとドキッとします。そして「主よ〜」と主の名を呼びながら受話器をとります。牧師という仕事柄、緊急なこと、重いこと、辛いこと、そういう知らせが届けられることがあるからです。そんな時、間違い電話だったり、いつでも良いような用件だったりすると、「な〜んだ」と肩の力が抜けていきます。

 電話だけではなく、メール、また人づてに、「良い知らせ」を聞くこともあれば、「悪い知らせ」を聞くこともあります。主イエスを信じているということは「悪い知らせ」を聞くことなく、「良い知らせ」を聞く歩みに招かれていくということではないでしょう。もちろん「良い知らせ」を喜ぶ時も、主は備えてくださっています。しかし「悪い知らせ」、あるいは悪いと思われる知らせを聞いた時に、たとえそこにへたりこんでしまったとしても、それでも立ち上がる力を与えてくださる方が共におられる、そのことを知っているということ、それが信仰の力なのでしょう。

「正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない」詩篇112:6−7



 正しい人とは、主なる神との関係が正しくあるということ、主なる神に従っていこうという思いを持っている人のことです。そういう人は「悪いおとずれ」を聞いたとしても、それでも恐れに支配されてしまうことなく、その心は主に信頼してゆるがない、そういう歩みをさせていただけると私は信じています。



 現実として、悪い知らせを聞くことがあります。しかし主イエスを信じる者は善き力に囲まれているという、もう一つの現実を忘れないでいたいのです。

 マルコ5章でヤイロが親として一番聞きたくなかった言葉、悲しみの言葉、悪い知らせを、その耳で聞きました。しかし同時に、「イエスは、その話しの言葉をそばで聞いておられた」(5:36)のです。悲しい知らせや悪い知らせを聞く時、主イエスがそばで共に聞いておられるのです。その上で「恐れないで、ただ信じ続けなさい」と主イエスは言われるのです。つまり、主がそばで聞いておられるから、私たちは恐れないで信じ続けることができるのでしょう。

(1日1章 使徒14章「町にはいって行った」)
 
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