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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ふさわしいからではなく

 12月16日の礼拝はアドヴェント第3週を迎え、キャンドルに「喜び」の火を灯しました。善き力に囲まれていることを確信しながら、信仰をもって主なる神を仰ぎました。

 礼拝後は、お弁当愛餐会と恵みの分かち合いのひと時、そしてクリスマス礼拝&祝会の会場設営、新来者へのプレゼント包装を行いました。そしてコーヒーを飲みながら、しばらくゆったりと歓談していました。こういう自由でリラックスした雰囲気があるというのが良いですね。その後、病院へのお見舞いや洗濯機の運搬をお手伝いなどしました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20181216
(250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 マリヤの信仰が高貴で、その清らかさ、清純さは、神に近いものだったら、救い主の母として相応しい者とみなされたのではありません。マリヤが登りつめたのではなく、むしろ神の子が身を低くして、人の子となって下さったのです。ここにクリスマスの恵みを見出します。相応しいからではなく、むしろマリヤ自身が自分「卑しい」と言っているように、相応しくないからこそ、神が低くなってマリヤのところに来られ、救い主と共に歩む人生を歩む道を開かれたのです。まさに恵みなのです。



 恵みが訪れるとは、いやなことが1つもなくなることではありません。主イエスと共に歩むとは、試練がなくなり、悩みもなくなり、四苦八苦することがなくなることではありません。クリスマスを前にして、年末年始のことの時に、「どうしてこんなことに?」と思うところを通ることもあるでしょう。

 まさにそのところで、神が共におられるので、試みの中でも恵みを見出すことができるのです。人生の良いものも、悪く見えるものも、恵みによって意味をもってくるのです。プラス面だけがプラスではなく、実はマイナスと思う出来事に意味を見出すことができるのです。試練の中で、それでも神が共におられるゆえに、試練の意味が変えられていき、苦しみの意味が変えられていくのです。人の悪しか見えないところに、神は善を作り出してくださるのです。

 マリヤに対し「あなたの人生は、恵まれるのです、何があっても、その恵みは失われない」と言われた神の御使いの言葉は、「神があなたと共にいるから、あなたも恵みに生きることができる」と、私たちにも約束しているのです。



(1日1章 使徒27章「全部の者が」)

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