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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

目的ではなく結果として

 2018年最後の礼拝メッセージ前半の一部分を、昨日の記事でUPしました。今日は後半の一部分です。私としては、とても大切なことを分かち合っているつもりなのですが、伝わるようにどのような説明をすれば良いのか、なかなか難しいものです。記事では省略していますが、私が見た夢に貴乃花が出てきたことを例話としてお話しました。それでも心もとないものがあります。

 本日の記事でも、どれだけ伝わるかは「?」です。ま、それだけ神の愛は多面的で深く、筆舌には尽くしがたいということでご勘弁をいただければと思います。

 ヨナ書の最後の言葉、その神の声が愛に満ちたものとして力強くヨナに語りかけられています。生ける神の声が響き、ヨナは神がニネベの人々をどんなに愛しているかを知ったことでしょう。そして人々を愛してやまない神を知って、ヨナは立ち上がることができたはずです。

 注意していただきたいことがあります。それはヨナ書の場合、「私を愛してやまない神を知る時、私は立ち上がることができる」ということではなく、「人々を愛してやまない神の愛を知る時、私は立ち上がることができる」ということです。

 正直なところ、私は今までそうだとは思っていませんでした。まず自分が神の愛に満たされて、それが溢れ出て人々を愛せると思っていました。もちろんそれは、間違いではありません。しかし預言者ヨナに関してはそうではありませんでした。神はヨナを次のステップと言いますか、愛の深みに招いておられるのです。それは神が自分の周りにいる人々をどんなにか愛していることを全身全霊で知ることによって、ヨナの内側にますます神の愛が溢れ、それが生きる力となっていくのです。

 不思議な事ですが、神はヨナに対して「生きよ」「あなたの命が惜しい」とは言っていません。また「あなたの気持ちがよく分かるよ」とも言われていません。むしろヨナではなく、ニネベの人々や家畜には滅びて欲しくない、惜しまずにはれおないと言っているのです。しかしこの4章11節の言葉こそが、今までヨナの内側にあった偏った選民意識、自意識過剰、自己憐憫、どうせ自分なんて、そういう感情から解放し、神の愛の広さ深さへと導かれているのです。

 最も大切な戒めの1つは、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」ということでした。20世紀以降の心理学が発達した中で、「自分を愛せないと隣人を愛せない」「まず自分を愛するように」という説明がなされてきました。私はそれは聖書の釈義としても、解釈史的観点からも、違うのではないかと思うのです。それではあまりにも、自分に固執し過ぎていると思うのです。

 大切なことは、神を愛し、隣人を愛していくということです。その時、当然のこととして自分を愛し、嫌にならず歩んでいく道が結果として開かれていくのです。自分を愛するということは目的ではなく、結果です。それゆえに「私は自分を愛せない」と悲壮感にくれる必要は全くありません。大切なことは、神を愛し、隣人を愛していく、ここに立ち続けていくことです。



20181230

 ヨナという名前の意味は、ヘブル語で「鳩」を意味しているそうです。鳩は平和の使者であり、柔和さも現されています。ヨナは4章の終りで、本当の意味でヨナに「平和」「寛容」な者に造り変えられたのでしょう。

 もしヨナ書に5章があるとすれば(聖書に付け加えているのではなく適応として)、ヨナは枯れ果てたトウゴマのそばでうずくまっていましたが、神の愛とその偉大さに触れてひれ伏さずにはおれなくなったことでしょう。ヨナはそこに自分のために小さな小屋を作りしましたが、今度はそこに祭壇を築き、真実な神に礼拝をささげたことでしょう。

 そしてそこから立ち上がったはずです。ヨナが小高い丘のようなところから、ニネベの町に向かって柔和な顔をして、平和の使者として歩いているはずです。そして私たちもヨナ書5章のような2019年をご一緒に歩み始めていきたいのです。



(1日1章 Ⅰサム16章「思った」)

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