FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

逃避ではなく希望

 1月6日の新年礼拝、帰省されていた方々も戻ってこられ、賑やかに礼拝を捧げました。クリスマスや年末感謝礼拝、またお正月礼拝に引き続いて集われた方々もおられて感謝です。

 土曜日の夜に雪かきをしたので、夜中に何度も寝返りを打ったり、どこかの銭湯へ行った際に畳半畳もない狭い空間の脱衣場で唸りながら窮屈な中で着替えをしている夢を見ました(笑)それでも、日曜日の朝にはすっかり晴れていたので良かったです。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

20190106
(250字のエッセンスは、コチラです)

 昨年10月にS先生ご夫妻やF先生ご一家と、旭岳の大雪青年の家に籠もりました。そこで私たちは聖書を読みながら祈りつつ、また話し合い、北見や紋別の教会に対する主の御心を求めるひと時を持ちました。その時、与えられた1つの御言葉が、Ⅰテサロニケ2:19−20です。

「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです」

 パウロがテサロニケの教会のことを思う時に、こう言わずにはおれなかった思い、それは私たちが北見や紋別の兄姉を思う時に、このように思わずにはおれないものです。何か大きなことをして、天国で主に褒めていただくということではありません。主にある兄姉、皆さんこそ、私たちの望み、喜び、誇り、誉れだということ、それは聖霊による実感です。またそれは私たち伝道者・牧会者だけの実感ではなく、天に向かうこの世にあってお互いがお互いの望み、喜び、誇りという関係であることを確認し合いながら歩ませていただきたいのです。



 2019年、私たちが信仰に立っていこうとする時、それを喜ばない大きな闇の力が働くことがあるでしょう。サタンは何もしないのではなく、私たちの信仰を弱らせ、なくさせ、主の体である教会から離れさせる働きを狡猾に仕掛けてくるでしょう。しかし私たちはサタンを恐れる必要はありません。なぜならサタンは全能ではないからです。サタンの力は神の許しの範囲内でしか発揮できないのです。よく吠える獰猛な犬でも、鎖に繋がれていたら、その範囲内に入らなければ安全です。サタンが吠えたける獅子のように私たちを惑わしても、言わば鎖につながれている状態なのです。

 悪の力、試練、自分の取り巻く境遇がしんどくて、「早く天国に行きたいなぁ」と思う気持ちも分からないでもありません。しかし天国は逃避ではなく、希望なのです。天国へ向かう道を歩んでいる私たちは、パウロのように天を仰いでいく時、主を待ち望む時、今、生きているこの世にあって、新しい力を得るのです。



 以前から、愛するということは祈ることですと強調してきました。愛の神に祈ることなしに、私たちの内側に愛は湧いてきません。そのことをよく心に留めてくださり感謝します。また昨年の初めに、愛するとは相手の話を聞くことだとお伝えしました。スマホをいじりながらではなく、目の前にいる人の言葉にならない言葉を聞こうとすることです。
 
 そして今年、愛するとは相手を敬うことだということを強調したいのです。尊敬のない愛は愛ではありません。上から目線で愛することはできません。お互いの存在を喜び、尊び、お互いを誇りとしていく歩みに私たちは招かれているのです。なぜなら他の誰でもない、主なる神が私たちを喜び、私たちを尊び、そして私たちを誇りとしてくださっているからです。だからこそ、私たちもそのような関係を主に在って造り出させていただけるのです。



(1日1章 Ⅰサムエル記20章「心の曲がった」)

にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村
礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |