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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

がまんしてはならない

 1月13日の日曜日、冷え込みはありましたが透き通るような空気感のある天気でした。クリスマスに初めて教会に来た小学校3年生のKちゃんが、この日のKid's Churchに来たのでEちゃんのテンションも上昇気流に乗っておりました。

 礼拝後の愛餐会で昼食をご一緒し、主の恵みを分かち合いました。笑ったり、うなずいたり、考えたり、涙が出そうになったり、一人一人に与えられた主の恵みを共に味わうことができました。午後からは虹の会(三浦綾子読書会)がありました。

 紋別ではこの日の午後、信徒研修会「主の教会を愛する恵み」と題してM神学生が奉仕をしてくださり、それを受けて良いディスカッションに導かれたそうです。以下は、北見での礼拝メッセージの断片集です。

20190113
(250字のメッセージのエッセンスは、コチラです)

 2節と3節に少々矛盾があるなあと感じるところはありませんか。それは「忍耐」に関してです。「あなたの労苦と忍耐を知っている」、「よく忍耐して、耐え忍んだ」と、主はエペソの教会を認めて肯定しています。しかし同じ2節には、「あなたが悪い者たちをがまんすることができず」とも記されています。「忍耐」「かまん」も言語では同じ言葉です。

 エペソの教会が忍耐したことを主は褒めている一方で、悪い者たちをがまんしなかったことも認めています。実は、忍耐すべきことと、忍耐してはいけないことがあるということです。前後の文脈をよく読むと、教会の中に入ってくる間違った教え、異端に対しては、がまんしてはならないということなのです。主の教会は徹頭徹尾、聖書を土台にしますから、聖書を曲げてしまうことには「NO」と言うべきなのです。



 「あなたには非難すべきところがある」、反対すべきところがあると主イエスは語られます。聞く者にとっては、非難される、反対されるのは、心ぐるしいことです。しかし覚えて頂きたいことは、私たちを闇雲に断罪しようと「非難する」と言っているのではありません。私たちを御手に握り、共にいる方(1節)、私たちの全てご存知である方が(2節)、私たちを愛するがゆえに、そのままにはしておけないと言われるのです。主イエスは愛のお方だから、私たちを励まし、力づけるのと同時に、愛するがゆえに非難もし、反対もされるのです。

 この場合、何を非難され反対されたのでしょうか。それは「初めの愛から離れてしまった」ことです。初めの愛を忘れていませんかということです。エペソの兄姉は品行方正で、何が正しいのか見分けることができました。そのことを主イエスは認めてくださっています。しかしエペソの兄姉、あなたの言動は正しいけれど、そこに愛がありますかと問うているのです。愛の伴わない正義からは、争いや憎しみが生まれるばかりです。あなたの言動に初めの愛、キリストの愛が本当にありますか。信仰が形だけ、外側だけのもになっていませんかということも問われます。そのことは、あなたの気分を害したとしても、主イエスは避難し、反対しなければならない、愛をもってそれは違うと言われるのです。



(1日1章 1サム27章「心のうちに言った」)

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