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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

十把一絡げではなく

 1月20日(日)の礼拝では、海外宣教師のために祈り、捧げる時を持ちました。今年も基本的に毎月、第3日曜日の礼拝で、宣教師の近況などを報告し、「私たちの宣教」として共に祈っていく恵みに与れることを感謝しています。

 また成人者祝福祈祷の時を持ちました。かつて親元を離れて北海道の来た青年たちを「Boys, be ambitious!」と励ましたクラークのような思いになって、2名の青年たちに聖書の言葉を読み、祝福を祈り、書籍をプレゼントしました。以下は礼拝メッセージの断片集です。

 スミルナの教会に向けて書かれた手紙の特徴の1つは、叱責がないということです。もちろん、スミルナの教会が完全であったというわけではありません。しかしエペソの教会のように、「あなたに非難すべきことがある」と告げられないのは何故でしょうか。

 その理由は、大きな苦しみと迫害の中をスミルナの教会は通っていたからでしょう。だから主イエスは、励まし、慰める言葉によって、教会全体を生かそうとしておられるのです。責めるべきところに目を瞑っているわけではなくて、むしろ励ますことによって、マイナスの部分も主の御手で覆われてくるように願いながら愛をもって語られているのです。

 十把一絡げのように教会を、また私たちを見つめておられるのではないという、主イエスの真実を覚えずにはおれないのです。



20190120
(250字のエッセンスは、コチラ

 ヤコブが逃げるように自分の家族を離れて、石を枕にして野宿をしました。その夜、天から梯子がかけられて、御使いが上り下りしている夢を見ました。ヤコブは目が覚めて、ここは神の家、天の門だ、ここはベテルだと名付けます。梯子とは普通、下から上へ行くためにかけられるものです。しかしこの野宿の場所、ゴツゴツした石しか無いような、ヤコブの心を表すような荒野、ここに天から梯子をかけてでも、自分を守ると語られる主がおられることをヤコブは知ったのです。

 主なる神が共におられるから、何がなくてもそこは神の家、ベテルなんだ、絶望して終わりじゃない、「安心して絶望できる」、置かれている場所で主を見上げることができる、そういう信仰が与えられていることこそ、私たちの持っている豊かさなのです。



(1日1章 ロマ3章「ことごとく罪の下に」)

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