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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

力づけてやりなさい

 「一月往ぬる 二月逃げる 三月去る」と言われ、1月は正月があり、2月は普通の月より短く、3月は年度末なのでやることが多く、1〜3月は日が早く過ぎ、やることが多いのに思うように進まないと言われていることを実感中です。そんな2月最後の礼拝(2月24日)、恵みを逃がしてしまうことなく、心からの礼拝を捧げました。

 ビートの製糖工場で責任ある立場として夜勤なども含めて、それこそフル稼働されていたKさんが、久し振りに礼拝に集われました。元気そうで感謝です。私がピアノを弾く右手の少し後ろ手で、自然な形で信仰の手を挙げられながら賛美されている様子が、楽譜の右ページを見る時にチラッと入ってきます。共に生ける神を賛美できる幸いを覚えます。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

20190224
(250字のエッセンスは、コチラです)

 サルデスの教会は、「生きているようで死んでいる」と言われました。しかしキリスト者とは、むしろ「死んでいるようで実は生きている」ものなのです。

 Ⅱコリントの6章に神の僕として生きるとは、「人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、」と記されている通りです。続いて、「懲らしめているようであるが、殺されず、悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」のです。



 日本では「人様の迷惑にならないように」という教育がなされてきました。もちろん大切なことです。しかしあまりにもそこに集中してしまう結果、そこから生まれてくる弊害があります。恐らく「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉の根底が愛から出ているものでない時、「迷惑をかけなければそれでよい」、「私も迷惑をかけないから、あなたも私に迷惑をかけないで欲しい」という方向にシフトしていくのでしょう。そして少しでも自分に迷惑がかかると、それに耐えられなくて、クレーマーのようになって批判合戦の社会になっていくように感じます。西欧社会では「社会の役に立つように」と教育すると聞きました。大きな違いがそこに出てくるように思います。

 キリスト者は、罪を犯さなければそれでいいということではありません(もちろんそれも大切なことです)。むしろサルデスの教会に「あなたは他の誰かを力づけることができる」と、主イエスは教えておられるのです。自分が満たされて、自分が力づけられるための礼拝に終わらないのです。神を愛する真の礼拝者は、人を愛する者に、近くにいる方々を力づける者となることができるのです。私の力ではなく、共におられるキリストの力によってこそそれは可能なのです。

 ルカ22:32 主イエスはペテロに言われました。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。この「力づけてやりなさい」という言葉は、黙示録3:2と同じ言葉です。主イエスの祈りに支えられて、私たちも歩んでいくことができるのです。



(1日1章 Ⅱサム22章「離れたことがない」)

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