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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

打ち砕かれた心

 小田垣雅也先生が、2月に逝去されていたことを知りました。89歳だったようです。著書を一冊だけ読んだのみで、特に面識などはありませんでしたが、印象に残る書籍でした。先生のお名前は、大学生時代に本屋へ行った時に、講談社学術文庫の本棚に『キリスト教の歴史』の背表紙でよく拝見していました。

 7年前に『一緒なのにひとり』を読んだ感想を、blogに少し綴っていました(「一緒なのにひとり」)。そこにも記しましたが、「『打ち砕かれた心』とは、『打ちしおれた心』ではない、というこの言葉に出会っただけでも、心がすっきりと整理されるようでした」という思いは、今も変わっていません。

一緒なのにひとり

 今回、遅ればせながら訃報を知り、改めて『一緒なのにひとり』をパラパラめくっていると、次のような言葉にドキリとさせられました。

「制度などが自己目的化されると、それは必ず嫉妬や分裂の原因になる」、「理論を重視するのは、依存心理である」、「知恵(知識ではない)と勇気は切り離せない。生きることが、結局は勇気の問題であるのと同じである。しかしこの勇気は、また楽しみでもあるだろう。生きていることの楽しさだ」、「自然とは野生ではない」、「写実画は、対象から飛翔する気概をもっていない。たぶん無意識に対象に依存しているのだろう」、「個と他の二重性・同時性がないところでは、コミュニケーションはイデオロギーに、個は自我主義(エゴイズム)になる」、「意見や感情の一致は同意ではないのだ。意見や感情の不一致を承認してこそ、同意が有る。人間はその境域でこそ、生きうるのである」、「真面目すぎるのは、軽薄さの別の表現であることが多いのである」などなど。



 書籍全体において、それこそ同意できる部分とそうではない部分も多くあります。また私の理解を超えているものや、プロテスタントの枠組みをも超えているようにも感じます。しかしそれでも頷けるものがあります。機会があれば『キリスト教の歴史』を読んでみようかなあと思っています。

(1日1章 ガラテヤ1章「かき乱し」)

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