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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

傘をさしているなら

 6月9日(日)は、ペンテコステ礼拝でした。私は紋別へ行き、北見では妻が礼拝説教の奉仕をしました。聖霊は牧師であろうと伝道師であろうと、妻であろうと夫であろうと、全ての人に豊かに注がれるので、北見での礼拝はとても聖霊の恵みが豊かであったそうです。もちろん紋別も主の恵みが豊かだったのですが、帰宅してから私が紋別の様子を話す熱と妻が北見の様子を話す熱は、どうも妻の方に軍配が上がった(?)ようです。(以下は礼拝メッセージの断片集です)

20190609
(250字のエッセンスは、コチラ

 神の恵みは男女の奴隷たちにも、身分の差別や区別もなく、全ての人に聖霊は注がれます。「雨を降り注ぎ」と賛美をしましたが、聖霊は雨のように注がれます。雨は誰の上にでも注がれ、人の状況いかんに関わりません。特別な人だけにだけ雨が注がれることも、良い農家だけではなく、悪い人と思われる人にも雨は降ります。あの人だけ、いつでもどこに行くにも雨が注がれる、それはあり得ないことです。

 ただし私たちの側が傘をさして覆いをしてしまうならば、恵みの雨に濡れることはないありません。私たちの側で心を閉ざしたりする時、それは聖霊の恵みを傘で覆っているようなものです。覆いを外して、手放しで心を一心に神様に向かって祈り求めるなら、大人も子どもも、男性も女性も、信仰歴などにも関係なく、みな聖霊の雨が注がれ、満たされていくのです。



 愛する兄姉には、聖霊による幻と夢があるでしょうか? どんな幻を、ビジョンを、夢を持っておられるでしょうか? その幻と夢は、聖霊によって与えられている幻と夢でしょうか? それとも自分の思いでしょうか? 自分の夢、自分の幻、自分のビジョンのために神を利用しようとするなら、それは失望に終わるでしょう。しかし聖霊によって与えられる幻ならば、その幻は幻のままで終わりません。聖霊によって与えられた夢であるならば、それは夢のままで終わりません。聖霊によって与えられた幻や夢ならば、それは必ず実現していくのです。



 教会全体が聖霊に満たされていく時、ここは駄目だとか、あそこはどうだとか、そんな言葉が小さくなっていきます。私たちは互いに、聖霊によって幻と夢を見させて頂き、それを語り合うことができるのです。「この神の思い、幻、夢の実現のために、私たちは何ができるだろうか。神はどんなことをして下さるだろうか」と、聖霊に満たされた教会、家族はそういう希望の言葉が満ちていくのです。聖霊による夢と幻は、私たちを元気にする力を持っています。



(1日1章 Ⅰ歴21章「ダビデを動かして」)

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