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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

泥をかぶる 【No.263】

ある方と「主イエスに似る」ということを話ししていました。
その方は「イエス様は、泥をかぶる生き方をされたのです」と言われました。
私はその言葉に、静かに黙ってうなずきました。

私は泥をかけられたら、すぐさま払いのけるでしょう。
そして泥をかけた人に文句を言い、謝罪を求めるでしょう。
泥をかけられて黙っているわけにはいきません。
またドロドロとしたものとあまり関わりを持ちたくありません。
(これはもちろん比喩で、実際の泥とは違います)

しかし私たちの主イエスは、
律法学者たちやパリサイ人が嫌悪し見下げた罪人と呼ばれる人々、
そういう人々のドロドロとした現実の中に入っていきました。

律法学者やパリサイ人は、誰よりも聖書をよく知っていました。
彼らほど聖書を熱心に読み、厳密にその言葉に生きようとした人はいません。
安息日に移動できる距離までも、誠実に計算するほどでした。

しかしどんなに学識や確かな教義を持っていたとしても、
彼らは主イエスの福音から遠いところにいたのです。
聖書のことをよく知っているのに、福音から遠いとは皮肉なことです。
そんな律法学者やパリサイ人の姿に自分が重なります。

イエスとシモン

人の足を洗い、人から泥をかけられてもそれを払い落そうとはせず、
むしろ人の罪、痛み、呪い、ドロドロとしたものを全部背負いながら、
信じる者がそこから解放されることをただ願いながら、
あざけられても、ののしられても、それでも十字架の道を歩まれた主イエス。

主イエスを信じている者であるにも関わらず、
相変わらず主イエスの姿に遠い者であることを感じずにはおれません。

泥をかぶられた主イエス、泥を払いのけようとする私。

律法学者のようでありながら、あの取税人のように胸を打ちながら、
ただ神の憐れみを慕うばかりです。(ルカ18:13)

父の涙

今日は「Holy Friday」、「Good Friday」、「聖なる金曜日」、「十字架の日」。

  「父よ、、彼らをおゆるしください。
   彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」ルカ23:34

十字架の上で祈られた主イエスの祈りが迫ってきます。




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