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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

狭間(はざま)の中で 【No.299】

あまり好きじゃない内容の言葉があります。
それは誰かに何か良くないことが起こったり、へまをやらした人に向かって
「そうなると思っていた」、「やっぱりそんな予感がしていた」、
「だからあの時、そう言ったのに」、そういう内容の言葉です。

もしかしたら自分でも言っているかなぁと思います。
「ほら、そんな気がしてた」・・・
聞くのも嫌だし、言わないようにしたいなぁと思うのです。
その言葉から、自分は何でも分かっているという傲慢な臭いがします。

悪くなると思っていたら、そんな予感がしていたなら、
どうして全力を注いででもそうならないように助けてあげなかったのか、
そんな風に感じ、無責任な言葉のように思うのです。

どうしても助けてあげることの出来ない状況であったならば、
そうならないために心を注いでとりなして祈ることができたはずです。
そして真のとりなし手は、「そうなると思った」なんて思わないはずです。
その人のために心を砕いて神様に祈っていた真のとりなし手とは、
そうなってしまった人と同じように心を痛める以外にないはずなのです。

人は知らず知らずのうちに、「そうなると思っていた」というように
そうなってしまった人よりも、一段も二段も高いところに登っています。
いや、それは何でも分かっているかのような、
神様の地位に自分を置いてしまっているのです。

人が神に
(購入していないのですが、荒井献先生のこの本を読みたくなりました)

しかし真の神である主イエス・キリストは、
天の御位を捨て、人の姿となり、失敗し挫折した者のすぐそばに来てくれました。
そして失われた者、駄目だと思われる人、
「やっぱりあーなるしかないよ、あんなことをしていたら」と言われている人を
探し出し、尋ね出し、救うために来られました。

人がいつの間にか神になってしまうことの恐ろしさ、
神が人の子となって下さったことの思いの深さ、
この狭間の中で、聖霊によって真のとりなし手とならせて頂きたいのです。

「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
 だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」
                           ルカ22:32

JESUS

威勢のよいことを言うペテロが裏切ってしまうこと知っておられるのに、
しかしそのペテロのために祈り、やがて立ち直ることも語られる、
十字架にかかる前の主イエスの言葉を思い起こします。


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