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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

神の配慮【No.438】

今週日曜日の礼拝メッセージで、ルカ1章から
ザカリヤとエリサベツの出来事を分かち合いました。
老夫婦の彼らには子どもがいませんでした。
それがある日、突然、御使いが現れてこう告げました。

「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。
 あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう」

神様はちゃんとザカリヤの祈りを、エリサベツの思いを聞いておられ、
老夫婦の彼らに子どもが与えられることになりました。

「どうせなら神様~、願ったその時に子どもを与えて下さいよ!
 子どもがいなくてどんなに辛い思いをしてきたか」
私だったらそう思うだろうなぁというザカリヤへの御告げでした。

しかし「今、今、今、欲しい」というザカリヤ夫婦の願いではなく、
老夫婦になってからということに神様の配慮がありました。

1つは、彼らが老年になって子どもが与えられたからこそ、
主イエスをその身に宿すマリヤへの大きな大きな慰めとなったことです。
マリヤにとってエリサベツの存在は、どんなに大きな励ましだったでしょう。

ザカリヤとエリサベツの子どもであるバプテスマのヨハネが、
主イエスの道を備えるために用いられたのと同時に、
ザカリヤとエリサベツの存在がマリヤの大きな慰めとなり、
結果的に救い主の誕生に用いられることになりました。
それは彼らの想像をはるかに超えたことでした。

詩篇55:22

もう1つは、何度もルカ1章を読みながら私が推測したことです。
それは彼らの息子のバプテスマのヨハネが殉教の死を遂げる時、
おそらく彼らはすでに天国へ行っていただろうということです。

ヨハネが無残な死を遂げたのは30数歳だっただろうと思います。
聖書に記されているような残酷な死を、親として見届けることになるなら、
それが神の許しの中にあるとは言え、どんなに辛いことでしょうか。
年老いての子どもゆえに、ヨハネの死の時には既に天に帰っていたはずです。

上記のことはあくまでも私の推測です。
推測から大きな真理を導き出してはいけませんが、
それでも確実に言える大切なことがあります。

それは「神様は私たちの人生に配慮をして下さっている」ということです。
しかも「私たち以上に、私たちの人生に配慮をして下さっている」のです。

それは後になって分かる神様の配慮もあるでしょう。
そして同時に、天国に行った時、あんなことも、そしてこの時も、
神様はこんなに私の人生に配慮をして下さっていた、
そういうことを知らされて、ただただ神様を賛美せずにはおれないはずです。

今、起こっている出来事、「どうして?」と思うことがら、
そこにも私たちの思いもつかないほどの神様の配慮がある、
そう信じて明日も感謝と喜びをもって礼拝を捧げたいと思います!



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