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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「主は心を見る」

今週の礼拝の中で、有名なⅠサムエル記16章の前半を分かち合いました。
7節に有名な以下の言葉があります。
  

「人はうわべを見るが、主は心を見る」Ⅰサムエル記16:7


私は小さい時から、何度もこのダビデの油注ぎの場面を読んできました。
そして何人かのメッセンジャーからも、この御言葉が語られるのを聞きました。
この言葉自体の意味は理解しているつもりなのですが、
どうしても分からないことがあったのです。

サムエルがエリアブを見た時、その姿かたちが麗しく王に相応しいと思いました。
それでも神は、人の姿かたちではなく心を見ると言われました。
なのに、選ばれたダビデの姿が立派だったと記されているのです(12)。

エリアブの姿かたちは麗しいけれど、神は心を見られるのでエリアブは違う。
そうすれば姿かたちが麗しくない人が選ばれなきゃならない、
それが私の中の論理的帰結だったのです。

下世話な例えを語るなら、よく高校生や若い女性が、
「私のタイプは顔じゃないの、やっぱり性格なの!」と言いながら、
好きになる人なる人はみんなイケメンだったりするような・・・。

そういうわけで、Ⅰサムエル記16章を読む時に、
どうしても7節と12節が矛盾しているように感じていました。

heart to heart

しか~し、今回、何度も聖書を読む中で、以下のことが分かったのです!

①7節は、サウル王との関連で語られている 
 サウル王はイスラエル一の美男子で、顔一つ背が高かったのです。 
 そのサウル王の次には、このエリアブが相応しいに違いない、
 サウル王にそん色ない、そう思ったサムエルに対して、
 「姿かたちではない、主は心を見る」と言われたのでした。

②ダビデとの対比 
 エリアブもダビデも、どちらも姿かたちが麗しくて立派だったのですから、
 外側だけを見るならどちらが選ばれても良いわけです。
 しかし神はその心を知っておられ、ダビデを選ばれたのです。
 人の目には分からないけれど、神は心を見られるということです。

③主が心を見られることを知って歩む
 神はダビデの心を見られて、彼を王として選ばれたということは、
 ダビデの心は誰よりも美しかったのでしょうか?
 もちろん彼は潔い人物でしたが、完璧に美しい心とは言えません。

 ここで大切なことは、ダビデ自身は「主は心を見られる」ということを意識して、
 残りの生涯を歩んでいっただろうということです。
 おそらくサムエルや父エッサイから、自分が選ばれた理由の1つに、
 「主は心を見る」ということを聞かされていただろうと思うのです。
 
 そのことを伺える詩篇がたくさんありますが、例えば139篇に
 「神よ、わたしを探り、わたしの心を知って下さい」と祈っています。
 また「しかし主よ、わたしは誠実に歩みます」と何度も告白しています。

 誰が見ているとか見ていないかではなく、主が見ておられる、
 主は全てを知っておられる、だから主の前に誠実に歩もう、
 そういう信仰をもってダビデは歩んでいったのだと思います。
 だからこそ罪を指摘された時には、悔い改めることができたのでしょう。

look at the heart

以上のようなことが、今のところ私が理解している16章の前半です。
もしかするとさらに深い真理に導かれるかもしれませんが、
長年疑問に思っていたことに1つの光が与えられてすっきりしました!

そしてさらに、分かったことがあります。
それは、私以外の方は誰も7節と12節を矛盾していると考えなかったようです!
妻や他の人に聞いても、特に矛盾だとは思わなかったとのこと。

考えてみると、主は心を見られるのですから、
外見は麗しくてもそうじゃなくても、どちらでも良いはずなのに、
なぜか「麗しい人じゃ駄目でしょう」と勝手に思い込んでいました。
私の深層心理に、外見に関する何かがあるのでしょうか(笑)
まさに、心を探られる7節でした!


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