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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ゴスペルライブ③

ゴスペルライブの終わりの方に、私がバイブルメッセージをしました。
Gospelは、Good News(福音)であるのと同時に、
God spell、つまり「神の言葉」を意味していると言われます。

神の言葉である聖書の言葉やその意味するメッセージにメロディを付け、
そしてみんなで神を賛美する、それがゴスペルの素晴らしいところでしょう。
神の言葉が基となっているからこそ、歌う者に力が与えられます。

そういうゴスペルの語源から言っても、
ゴスペルの中で神の言葉を伝えるバイブルメッセージは欠かせません。
今回は「永遠の主」で賛美したイザヤ40:8を土台に語りました。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」

その中で、やはり大きな地震があったということもあり、
今から86年前に北海道で起きた十勝岳大噴火の出来事を小説化した
三浦綾子さんの「泥流地帯」を紹介しました。

十勝岳大噴火

「大正15年5月、十勝岳大噴火。突然の火山爆発で、
 家も学校も恋も夢も泥流が一気に押し流してゆく・・・。
 上富良野の市街からさらに一里以上も奥に入った日新部落で、
 貧しさにも親の不在にも耐えて明るく誠実に生きている拓一、
 耕作兄弟の上にも、泥流は容赦なく襲いかかる。

 真面目に生きても無意味なのか? 
 懸命に生きる彼らの姿を通して、
 人生の試練の意味を問いかける感動の巨編」

その最後の場面に、全てのものが流されてしまったその場所にたたずみ、
兄弟が会話を交わしている場面があります。

拓一が目をあけて耕作を見た。拓一は自分を見つめていた耕作に、
「何だ?」とやさしく尋ねた。あわてて耕作は、
「なあ兄ちゃん。まじめに生きている者が、どうしてひどい目にあって死ぬんだべな」と先程の言葉をくり返した。
「わからんな、おれにも」
「こんなむごたらしい死に方をするなんて・・・・・まじめに生きていても、馬鹿臭いようなものだな」
「・・・・・そうか、馬鹿臭いか」
 拓一はじっと耕作を見て、
「おれはな耕作、あのまま泥流の中でおれが死んだとしても、馬鹿臭かったとは思わんぞ。もう一度生まれ変ったとしても、おれはやっぱりまじめに生きるつもりだぞ」
「・・・・・・・・・・」
「じっちゃんだって、ばっちゃんだって、おれとおんなじ気持ちだべ。恐らく馬鹿臭いとは思わんべ。生まれ変ったら、遊んで暮らそうとか、生ま狡く暮らそうなどとは思わんべな」
 耕作は黙ってうなずいた。


私も拓一の言葉に、耕作と一緒に黙ってうなずくばかりです。
そしてそのうなずきは、これからに続くうなずきです。
そのこれからのことは、「続泥流地帯」にも記されています。

全てが流されたように見えても、それでも流されないものがあるということ、
いつまでも残るものを、真に大切にすべきことを大切にしていきたい、
そしていつまでも残る神の言葉によって与えられる信仰と希望と愛があることを、
集われた方々と共に分かち合い、
被災している方々のことも思い起こしつつバイブルメッセージを語りました。




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