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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

キレイごと

愛って美しい言葉なのですが、愛することは美しくないことでしょう。
愛することって、キレイごとではないものを引き受けることなのでしょう。

迫害の中で中国宣教に携わっているある方は、
「伝道者とは、人の膿(ウミ)をすすって生きるようなもの」と言われました。
どろどろとした人々の罪を背負われたキリストにならっているからでしょう。

伝道者に限らず、キリスト者はキリストの心を持たせて頂いているから、
キレイごとではない汚い現実の中でこそ現わされたキリストの愛で、
自分の隣人を愛していく、こういう世界に招かれています。

十字架のそばで

それなのに、神の義に基づいた愛を追い求めるよりも、
神の愛から離れた自分の正しさを求め、正しくない者をさばいてしまいます。
そしていつの間にか神の愛の座から滑り落ち、自らの正義の座に着いています。
人の正しさと正しさがぶつかり合い、きしみや争いが起こります。

ああ、残念ながら、そう残念なのですが、神の愛を横に置いた自分の正しさは、
キレイごとではないものを引き受けることが出来ません。
自分の正しさのゆえに、どろどろとした正しくないものを排除するのです。

そしてどろどろとした現実を引き受けることが出来ない自分の心の中こそ、
白く塗られた墓のようなものであり、一番どろどろとしている現実なのでしょう。

「血みどろの十字架」

森明牧師の言葉を思い出します。
十字架は美しいものではなく、キレイごとでもないのでしょう。

ちょっと哲学チックな瞑想(迷想?)に陥ってしまいましたが、
結局のところ、私は主イエスの愛に生きているか、生かされているか、
十字架の主イエスのすぐそばにいるのか、そんなことを問われています。



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