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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ベタニヤ

今週の礼拝メッセージのまとめのところで、
「ベタニヤ」について少し触れました。
主イエスが手を上げて祝福しながら、昇天される様子が記されています。

「ベタニヤ」は、エルサレム南東約3キロのところにある村です。
マルタとマリヤが住んでいて、主イエスもよく訪問され、
共に食事をされています。(私は行ったことありませんが・笑)

前任の大阪の教会では、日曜日の昼食を「ベタニヤ」と呼んでいました。
主イエスを真中にして、共に食事をしながら交わっていました。
「今日のベタニヤ(お昼ご飯)は、カレーかな~?」、
そんな会話もありました。

しかし「ベタニヤ」の意味をよくよく調べてみると、
なんと「悩みの家」、「貧困の家」という意味らしいのです!!!
私の「ベタニヤ」に対するイメージとは、全くかけ離れたものでした。

そして同時に、両手を広げて祝福される主イエスをしっかりと見つめました。
たとえどんなに悩みがあったとしても、
また貧しさや心の乏しさを感じていたとしても、
復活の主イエスはそこを祝福の場所と変えて下さるからです!

20110522

ヨハネ11章にもベタニヤの村での出来事が記されています。
ラザロが病気で死に、マリヤとマルタの悲しみがその家を支配しました。
しかし主イエスは涙を流され、愛するラザロを生き返らせ、
死という悲しみの壁を打ち破られました。

またナルドの香油が注ぎかけられたのもベタニヤでした。
主イエスのために自分の持っているものを捧げずにはおれない、
打算抜きの、そうせずにはおれない、
そんな美しい心が生まれたのもベタニヤでの出来事でした。

十字架にかけられ全てののろいを引き受けた主イエス、
そして復活された主イエスが両手を広げて祝福して下さる。
私たちのベタニヤ、悩みの家、貧困の家を祝福に変えて下さる、
同じことが主の祝福の言葉を聞く時に起こるということを信じました!

ベタニヤ

人の名前(女性?)、大学の名前、街の名前に、そして教会の名前にも
Bethany(ベタニヤ)が使われていると思います。
その語源の印象がまったくないほどに愛されている名前のようです。

もはやベタニヤの「悩みの家」、「貧困の家」という意味を思い出せないくらい、
悩みがあり、愛という貧しさを感じるところに、
悲しみや失望が覆ってしまっているようなところに、
今日も主の祝福の言葉が語られ、主の祝福が覆っていくことを祈ります。



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