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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

太宰 治 『如是我聞』

私は学生時代、文学青年でもなく、気まぐれに本を読む程度でした。
中学や高校の国語で太宰治の名前と作品名を試験のために暗記しましたが、
教科書に載っていた『走れメロス』以外は読んだことがなかったのです。

友だちの影響だったのか、ふと読んでみたいと思ったのか、
大学2回生の時に『人間失格』と『グッド・バイ』が収められた
太宰治の本を買って読みました。

上記2作は当時「ふ~ん」という感じでしたが、
「他一篇」ということでオマケのように収められていたのが
『如是我聞』という小文で、大学生という若い私の心を打ちました。

(だいたい、子どもはオマケに魅力を感じます・笑)

如是我聞

若い太宰が志賀直哉など先輩の老大家たちにもの申した内容です。
胸がすくような以下の文章を何度も何度も読んだのを覚えています。

p.194 彼らは、キリストと言えば、すぐに軽蔑の笑いに似た苦笑をもらし、なんだ、ヤソか、というような、安堵に似たものを感ずるらしいが、私の苦悩の殆んど全部は、あのイエスという人の、「己れを愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」という難題一つにかかっていると言ってもいいのである。

p.205 君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。
 日蔭者の苦悶。
 弱さ。
 聖書。
 生活の恐怖。
 敗者の祈り。
 君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。


単純な信仰を持っていた大学生の頃、思うようにいかない青い時代、
こういう少し刺激のある言葉が、心に響きましたね~。

太宰は「この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを」、
たとえ人から不愉快がられても書いていくと冒頭に述べているので、
太宰が文壇デビューをして10年ぐらいの作品なのかも知れません。

改めて「若いなぁ」、「若者ゆえの怒りだなぁ」と思います。
若さゆえの潔癖な怒りというものは、必要でしょう。
そしてこういう言葉に若者としていたく共感していたことも懐かしいです。

p.191 後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらは、いやになるほど私たちはおしえられてきたし、また、多少、それを遵奉してきたつもりであるが、しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。


さて私も神学校を卒業して10年が経ちました。
たくさんの先輩に囲まれながらも、後輩も増えてきました。

大学生の頃は、上記の言葉を太宰と同じく後輩の立場で読んでいました。
しかし40歳になる年齢を来年迎えるにあたって、
人生の後半戦が始まろうとしています。(はやー!)

人生の先輩に対する礼はもちろんんこと
特に後輩への礼を失することがないように、そんなことを思っています。



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