FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「ありのまま」と「そのまま」

神の愛は、私たちのありのままを愛される愛です。
私たちが清くなってから、品行方正になった時に
神は私たちを愛するのではありません。

ローマ5:8にあるように、罪人であった時に
すでに神の愛は私たちに注がれているのです。

だから神の愛を獲得するために、
一生懸命に頑張って良い人にならなければならない、
そんなことはありません。
神の愛は、私たちのありのままを愛される愛だからです。

LOVE IN SOUP

そしてさらに素晴らしいことなのですが、
「ありのまま」の私たちを愛する神の愛を知れば知るほどに、
「そのまま」の私たちでおれなくなってくるのです!

「ありのまま」の私が愛されているのだから、
「そのまま」の私でも良い、ということではありません。
もしそう思っているとしたなら、神の愛を小さくしています。
パウロの祈り(コロサイ3:18-19)を思い起こします。

また神は「ありのまま」の私を愛されるけれど、
「そのまま」の私でいてはいけない、ということでもありません。
平安のない愛は、さばきと律法主義に満ちていきます。

繰り返しになりますが、
「ありのまま」の私を愛する神の愛を知れば知るほどに、
「そのまま」の私でいてはいけないではなく、
「そのまま」の私ではおれなくなるのです!

サマリヤの女性、ザアカイ、衣を触った女性、マグダラのマリヤ、
主イエスの「ありのまま」を愛する愛を知った人は、
「そのまま」の自分でいることは出来ませんでした。

「私を聖なる者とする神の愛」とフォーサイスは言いました。
「ありのまま」の私を愛する神の愛は、
「そのまま」の私を覆い尽くして、聖なる神の霊によって
キリストに似た者とならせていただけるのです。

正面

明日の礼拝では、そういう神の愛が私たちに注がれていることを、
賛美の中で、御言葉の中で、祈りの中で、
聖霊の確かな働きによって体験させて頂きたいのです。



日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<友、来たる♪ | ホーム | 立体文字の完成>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |