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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

安らかで静かな一生のために

先週の教区会で、次年度の教区長選挙が行われました。
選挙のことをある先生と話しをしている時に、
私は自分の口から出た自分の言葉に深く感心しました(笑)

「誰が教区長になるのか、そこに神様の御心がもちろんあるでしょう。
 でも、誰が教区長になったとしても、
 主と私たちが選んだ教区長として心を1つにして支えていく、
 そのことこそ神様の大きな御心だと思います」

どうして自分の口からこんな言葉が出てきたのか、
聖霊なる神様が私自身に必要なことして、この言葉を与えたのでしょう!

新しい総理大臣が決まり、教区長選挙が行われるこの時期、
今週の水曜日の聖書日課で、Ⅰテモテ2章を読みました。
1~3節に、以下のように記されています。

「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。」


全ての人のために、とりわけ指導者たちへの姿勢が勧められています。
「お願い」は、確かにするんです。
「総理大臣は、もっと~すべきである」、
「会社のトップは、このようにして欲しい」、
「理事長や理事者たちは、・・・(笑)」・・・・。

自分たちの思っていることや願っていることを伝えていく、
このことは確かに大切なこととして聖書も挙げています。

しかし「願い」だけではなく、「祈り」、「とりなし」、「感謝」を
捧げていく、これがキリスト者の姿勢だとパウロは教えるのです。

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願いだけではなく、本当に上に立つ者のために祈っているだろうか。
愛するとは、祈ることです。祈りのない愛は、愛とは言えないでしょう。
「祈り」に裏打ちされた「願い」こそが大切でしょう。

「とりなし」とは、先に「祈り」があるので「とりなしの祈り」だけではなく、
上記のように「支えていく」、補助していく、そういう実際面の行動でしょう。

「感謝」の言葉を、上に立つ人に述べているだろうか。
感謝を捧げずに、批判やクレームばかりになっていないだろうか。

願いばかりで、祈り、とりなし、感謝がなければ、
2節にあるような安らかで静かな一生を過ごすことは出来ず、
苛立ち、不平や不満を抱えた歩みになってしまうのでしょう。

新しい総理大臣、新しい教区長、上に立つ方々、
指導的な立場にある方々への私自身の姿勢が問われました。

明日は、主を喜ぶ礼拝です。
その前の日、主が喜ばれること(Ⅰテモテ2:3・新改訳)であり、
主の御心にかなうことである、全ての人、上に立つ方々のために
とりなしの祈りを捧げながら、礼拝に備えていこうと思います。



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