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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

さばくお方 【No.64】

先週の礼拝メッセージの1つのポイントが、
「主イエスは、さばくお方です」(ヨハネ5:22、27、29、30)でした。

(礼拝メッセージは、だいたい月曜日の朝、
 教会のHPにUPしています。 ただしワンポイントの要約です。
 今週はまだですが・・・。)

「さばくお方」と聞いて、あまり良いイメージは浮かばないでしょう。
でも今回、メッセージの準備をして、
「主エイスは、さばくお方」だということを実感して、感謝が溢れてきました。

「主イエスは、さばくお方」、ここから3つの適応が出来るでしょう。
1つはずばりそのまま、さばかれるお方だから、
私たちの小さな罪も知っておられ喜ばれないということ。
だから、悪ではなく善に生きましょう、という適応。

感謝が溢れてきたのは、2つ目と3つ目の適応です。

2つ目は、「主イエスこそが、さばかれるお方」だから、
つまり、さばきは神の領域であり、人が人をさばくことはできないということです。
私たちは自分以外の人のことを全部知っているわけでもないですし、
私たち自身も不完全な者だから、人をさばくことはできないのです。

だから主イエスは、私たちに言われます、
あなたがさばかなくてもいい、「わたしがさばく」のだから、
わたしに委ねなさい、そのことはわたしに任せなさい、と。

3つ目は、「主イエスこそが、さばかれるお方」だから、
人が誤解や曲解して陰口や批判ばかり言っていたとしても、
その言葉は、聞き流しても良いということです。

さばきは、私たちがやってきたことへの評価は、
最後の最後に、主イエスがちゃんとして下さるのだから。

だからあなたが誠実に、愛を持ってやってきたことが、
たとえ伝わらなかったとしても、
また、まったく無駄だったかのように言われることがあるかもしれません。
(主イエスの御足の跡をたどる者は、
 主があざけられ、ののしられたように、同じ道を通ります)
しかしその言葉を、あなたの全評価として聞かなくてもいいということです。

god bless you

この2つ目と3つ目は、1つですね。
「主イエスこそが、さばくお方」だということをはっきりと意識する時、
私たちは人をさばくことから解放され、
そして人の批判や陰口からも自由にされていくのでしょう。

「主イエスは、さばくお方」と言われると、
「ちゃんとしなきゃ」という思いが先行していましたが、
実はこの言葉は恵みの言葉だということを知った時、
「ちゃんとしていきたい」と思えるようになるんですね。

(ややこしいかな?)



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