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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「デモクリ」から「ダカラクリ」へ

昨日の続きですが、Y牧師は「コソクリ」を推進し、
私は明るい「デモクリ」を勧めています。
(「コソクリ」は、あなたこそクリスチャン、
 「デモクリ」は、それでもクリスチャン)

このことを聞いたMさんは、
「コソクリって、こそこそしているクリスチャンのことと思って、
 私のことだ~と思った」と言われていました(笑)

先月Sさんが札幌の教会で礼拝を捧げた時、
ハレルヤ 私はクリスチャン」という賛美が面白かったとのこと。

それを聞いた私の妻も、教会に行き始めた頃、
「『ハレルヤ 私はクリスチャン』って賛美だろうか?」、
そして最初は歌うのが恥ずかしかったこと、
でも2番で御霊の実を覚えられるのが良かったと言っていました。

この賛美を「ハレルヤ 私でもクリスチャン」と替え歌をすると、
明るい「デモクリ」を勧める理由が良く分かると思います(笑)

ハレルヤ 私でもクリスチャン 日々喜び歌いつつ
主を愛し 主に愛される 主は私のすべて

ハレルヤ 御霊(みたま)の実は 愛 喜び 平安
寛容 親切 善意 誠実 柔和 自制です


「私でも」と歌う時は、やや早口になりますが、
2番の字余り・字足らずに比べればご愛嬌です(笑)

明るい健全な「デモクリ」のニュアンスが伝わると思います♪
そしてさらに言えば、「デモクリ」から「ダカラクリ」へ移行していく時、
「恵み」を充分に理解し味わっているクリスチャンでしょう。

「こんな私でも、神は愛してくれている」、その通りです。
でも本当は「こんな私だから、神は愛してくれている」のです!

jesus inside

「こんな私でも」という時、ぎりぎり神様が愛してくれている、
かろうじて神様の愛に乗っかっているイメージがあります。
しかし「こんな私だから、神は愛してくれている」となると、
神様の愛のど真ん中に自分がいる、そういうイメージです。

相変わらず失敗もする、嫌な自分が顔を出してくる、
こんな私だから駄目だ・・・ではなく、
こんな弱い私だからこそ、神様が必要です、
そういう「ダカラ」を知っているクリスチャンは、
「コソクリ」よりも素晴らしい「ダカラクリ」だと私は思います!

そして「ダカラクリ」を自覚する者に、
御霊の実が備えられているのだと思います。



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