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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

シニカルな笑い

先週の「月蝕」から、昨日の記事になり、
積読(つんどく)している平野啓一郎氏の『日蝕』を思い出しました。

そのつながりと言うとやや強引なのですが、
少し前に読んだ平野啓一郎氏の文章を思い出しました。

「チェコがなかなか共産主義政権を打倒する革命が起こらなかったのは、クンデラの小説にあるような、知識人たちのあのシニカルな笑いのせいだったと。彼らは共産主義のイデオロギーを真に受けずに笑っていたけれど、体制側も、それは織り込み済みで、むしろ笑いながら信じているフリだけしていてくれればよかったと。結果、現実は長い間何も変わらなかったと言うんですね」 梅田望夫・平野啓一郎『ウェブ人間論』新潮新書、2006年、86頁


太字にしましたが、引っかかった言葉は「シニカルな笑い」です。
シニカル・・・cynical、皮肉な態度をとるさま、冷笑的、嘲笑的

私の嫌いな態度の1つです。
「せせら笑っている」、そういう感じです。
他の誰かに対して、または所属している組織に対して、
シニカルな笑いを見つけると、悲しくなります。

そしてそういうシニカルな笑いを見せる方々は、
だいたいにおいて知的な方々なのです・・・。

日蝕

聖書は「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、
尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」と、
ロマ書12章10節で教えています。

「尊敬されるような人になりなさい」、
そういう教育を私たちは受けてきました。
しかし聖書は「敬いなさい」「尊敬しなさい」と教えています。

「尊敬される人になりなさい」と「相手を尊敬しなさい」、
この違いは、天と地ほどの差があるように思います。

子が親に対して、そして夫婦関係において、
人と人との関係において、相手を敬う心が基本となるのでしょう。

ウェブ人間論

シニカルな笑いがあるところに、相手への尊敬がありません。
シニカルな笑いをする時、自分は分かっている人だと思い込み、
相手を見下し、自らが神のようになっているのでしょう。
自分が神となる、これこそ偶像礼拝の本質だと思います。

結論。
「シニカルな笑いからは、
 何の良いものも生まれはしない」でしょう。

自分への適応。
私は、シニカルな笑いをしていないだろうか?
目の前にいる方々を敬う心を忘れていないだろうか?

そして一番大きな難問。
シニカルな笑いをする人を見つけてしまった時、
それでもその人を嫌にならず、
ましてやシニカルな人にシニカルにならず、
それでもその人の人格を尊ぶことができるだろうか?

・・・・。
大きな大きな難問を自問しています。




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