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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

サムソンと正義感

私と同じ大阪出身で、北海道でも牧師として働かれたN先生は、
もう30年以上前に病のために、惜しまれながら天に召されたと聞いています。
42歳だったそうです。

私が神学生だった頃、天に召されて20年が経つのに、
複数の教授から講義の中でN先生のお話しを聞きました。

私は説教集を買い求め、またご夫人のM先生にも会いに行き、
説教テープを貸してもらい、ダビングをして聞きました。
「聖書の言葉って、こんなに深いのか」と感激しました。

「N先生は、聖書に出てくる登場人物でサムソンを愛した」、
10年前、神学校時代の講義の中で聞いた驚くべき言葉です。
(士師記16章30章、サムソンの最期の説明時だったと思います)

自由奔放、本能の赴くままに生きたサムソンとは
全く相いれないと思われるN先生がそう言われたと聞き、
私のサムソンに対する評価が一気に変わりました。
否、正確に言いますと神様のあわれみの豊かさを知ったのです。

レンブラント「ペリシテ人に目を潰されるサムソン」
(レンブラント「ペリシテ人に目を潰されるサムソン」)

旧約聖書の士師記の中で、ギデオンとサムソンは対照的に描かれています。
豪快な怪力サムソンの向う見ずな行動に対して、
弱虫のギデオンが主に励まされて大きな働きをしていきます。

弱虫な私の性格から言えば、圧倒的にサムソンよりギデオンを好むのですが、
両者の晩年を思うと、私はギデオンよりサムソンの方に魅力を感じます。
(ギデオンの晩年については、「落とし穴」で記しています)

否、繰り返して正確に言いますと、
決してサムソンの晩年が魅力的だと言えないのですが、
サムソンの最後に神様がして下さった大きなあわれみに驚き、
ただ心が震えるのです。

アメリカ在住のある方のblogに、
ホイットニー・ヒューストンの葬儀のことが記されていました。
そして以下のように記されています。

「彼女の葬儀を見ながら、ちょっとサムソンを思い出した。ナジル人として神に仕えるよう召されていたのに、自分の力に溺れて堕落してしまったけれど、最後には自分の命と引き換えにこれまでよりも一番多くのペリシテ人を殺したサムソン。ホイットニーも、神様を賛美するために与えられた歌声だったのに、その歌声ゆえに誘惑に遭い、名声に溺れてしまったのかもしれないけれど、最後には、恐らく今までよりも一番多くの人に神の愛を届けたのではないかな、と…」 『ミルトスの木かげで』より



私以外の(!)ある方々の麗しくない言動を目にし耳にする度に、
私の眼差しは、律法学者のようになってしまいます。

しかし私の理解をはるかに超えた大きな神のあわれみの前に、
私がいつの間にか立ちどころとする小さな正義感は行き場をなくします。

心に巣食う私のちっぽけな正義感は、
神のあわれみによってこそ救われていくのでしょう。

救われなければならないのは、私の正義感なのだと痛いほどに示されながら、
十字架と復活(イースター)に向かって、レント(受難節)を過ごしています。


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