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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

うなずかれる主

ヨハネ19章30節に、十字架上の主イエスが、
「頭を垂れて霊をお渡しになった」と記されています。

この「頭を垂れて」と訳されている言葉は、
人が息を引き取る時に使われないそうです。

福音書でこの言葉が使われている他の箇所は、
「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、
 人の子には枕するところもありません」(マタイ8:20)です。

この「枕するところ」と「頭を垂れて」が同じ言葉です。
「人の子には枕するところもない」と言われた主イエスは、
ただ一心に人々の救いのために十字架を目指されたということです。



またバッハのヨハネ受難曲の31曲と32曲に、
「頭を垂れて」の場面が出てきます。(48:38~)

そこではこの「頭を垂れて」を「うなずかれる」と理解しています。
(参照の歌詞は、コチラ
主イエスは、十字架の上で大きくうなずかれたということです。

私たちが様々な思いをもって、主の十字架に佇む時、
そこで主イエスは大きくうなずかれるのです。

首を横に振りたくなるような現実を抱えていたとしても、
それでも主イエスは命をかけて大きくうなずかれます。
救いは「完了した」、神の愛の業は全うされたと。

私たちが十字架のそばにたたずみ、主イエスを見上げ礼拝を捧げる時、
主は、私たちの人生を、私たちの存在を、
全てをうなずいて下さるお方です。

明日の棕櫚の主日礼拝からは始まる受難週を、
十字架の上でうなずかれる主イエスを見つめながら、
私も自分の人生に対して首を横に振ることなく、
「然り、アーメン」とうなずきつつ歩んでいきたいのです。

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