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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ダメだし?

受難週から復活節にかけて、ヨハネ20章から神の言葉を分かち合っています。
続いてヨハネ21章、そしてペンテコステに向かっていく、
そういう説教計画を年の初めに立てています。

今週の日曜日は、ヨハネ20章の復活の主イエスがトマスに
現れるところをご一緒に分かち合いました。
その中で、以下のくだりに触れました。

それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
                               ヨハネ20:27-29



私は幼少より教会学校に行っていましたので、
何度も何度もこのトマスの出来事を聞いてきました。
しかし、このくだりが「???」という感じだったのです。

復活の主イエスと疑っていたトマスが再会する場面なのに、
なんだかトマスに対する主イエスの言葉を「冷たい」と感じていたのです。

トマスは「わが主よ、わが神よ」と主イエスに近づいていったのに、
主イエスは「あなたはわたしを見たので信じたのか。
見ないで信ずる者は、さいわいである」と言われました。

自分がトマスの立場だったら、
「見て信じたんでしょ。見ないで信じる者にならないとダメだ!」、
そう言われているようで、
何だか主イエスから「ダメだし」された感じでした。

だからこの復活の主イエスとトマスのくだりは、
「見ないで信じる者になりなさい」という教条的なものと感じ、
「見ないで信じる者にならなきゃなぁ」と思っていました。

20120422

でも主イエスは、トマスにダメだしするために十字架にかかり、
トマスを叱責するために復活されたのではありません。

8日後、わざわざトマスの前に現れたのは、ダメだしのためではなく、
トマスにも見ないで信じていくという幸いの道を開くためでした。

私なりに主イエスの言葉のニュアンスを受け取るなら、
「あなたは、今の今まで目に見えるものを信じる世界に生きていた。
 しかしこれからは違う。トマス、あなたも見ないで信じていく、
 そういう幸いな歩みが今日から始まっていくんだ」
そんな感じです。

山上の説教で「幸いなるかな」と立て続けに8回言われた主イエスが、
ここでも「幸いなるかな、マカリオス!」で始まる幸いの道を、
死を打ち破った復活の主イエスが切り開いています。

いつの間にか聖書を教条的、教訓的に読んでしまいがちですが、
私の名前を呼びながら、愛をもって語られる主イエスの言葉として、
いのちの言葉として聞き続けたいと思います。

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