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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「驚き、畏れ、喜ぼう!」②

昨日の続きで、大雪(たいせつ)で次年度の標語などを決めていたことです。
私は「驚き、畏れ、喜ぼう!」を数ある候補の1つにあげたのですが、
別の視点で妻と一致するものがあったので、結果的に却下となりました。

もう随分前に、所属グループの標語に
「祈り、満たされ、伝えよう」(使徒4:31)とあったので、
きっとそれに触発されての「驚き、畏れ、喜ぼう!」なのでしょう。

「人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、
 『私たちは、きょう、驚くべきことを見た。』と言った」
                       ルカ5:26

主イエスを信じて歩んでいくということは、
「驚き、畏れ、喜ぼう!」という信仰生活を歩んでいけるんだと、
私自身は信じて疑わないのです。

S先生
(S先生はパークゴルフが得意で、美しいスイングでした)

「驚く」ことは、大切でしょう。
偉大な神を信じているのに、信仰生活に驚きがないとしたならば、
偉大な神を小さくしてしまっているか、心が固くなっているかでしょう。

驚きにも様々な驚きがあります。
予想外の主の御業を見てひっくりかえるほどに驚くこともあれば、
当たり前のことに「しみじみと」驚きを噛みしめることもあります。

そして「驚くばかりの恵み」を過去の昔話にすることなく、
心を柔らかくしながら、主の偉大さに驚き続けていく歩みは、
いのちの御霊を内に宿しているからこそできるのでしょう。

さらに主を「畏れる」ことも、「喜ぶ」ことも大切です。
「畏れる」ことと「喜ぶ」ことは、1つだと確信しています。
聖書の中に、「畏れ」と「喜び」の同居が、たくさん記されているからです。

「喜び」のない「恐れ」は、恐怖、脅迫です。
主への「畏れ」のない「喜び」は、自分中心の快楽です。
主を畏れることと主を喜ぶことは、1つなのです。

早寝早起き朝ごはん
(施設のパネルで「驚き」の写真?・・・妻は顔出しNGなのです)

来年の標語は、「早寝、早起き、朝ごはん♪」でも、
「驚き、畏れ、喜ぼう!」でもありませんが、これからの歩みとして、
主に驚き、主を畏れ、喜ぶことを大切にしていきます♪

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