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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

神の命令

私は聖書を読んでいて命令形や戒めが登場すると、
「~しなければならない」というニュアンスで受け取っていました。

少しでも聖書の基準に近づくことができれば、
素直に感謝だなぁと思う時と、そうできない人々を見つけると
「何故できないんだろう」思う時とがありました。

反対に聖書の命令通りに生きることができないと、
「まぁいいか」と誤魔化したり、できない自分を責めたり、
悔い改めたり、諦めたりという反応を示していました。

聖書

しかしある時から、聖書が教える「恵み」が分かったのです。
その時から、聖書に記されている命令形や戒めの読み方が変わりました。

聖書の中に命令形や戒めの言葉が出てきたら、
次の3点を思い起こすようにしていますし、
教会の皆さんにもお勧めています。

 ①それはどうでもよいことではなく、命令するほどに大切なこと
 ②私たちに対する神の愛がその命令の土台にあるということ
 ③命令されるお方は、それに従う力をも与えて下さるということ



そして関西時代にお世話になった寝屋川福音キリスト教会の牧師も、
若い頃、私と同じように感じていたこと、
またある牧師によって(実名が出ていますが・笑)、
「聖書の命令法は恵みの約束として読む」ことを教えられたそうです。

・・・若いころ、私は聖書の中のある箇所を読み飛ばしなら読んだものでした。それは「これをせよ、あれをしてはならない」という、いわゆる命令形で書かれた箇所でした。ところがある先輩教職から、聖書の命令法は恵みの約束として読むのだ、と教えられました。あれをせよ、これをするなという命令形の背後には、神の「私がそのようにしてあげよう」という恵み深い約束があるのだ、と。

 これは私にとってはまさに福音そのものとなりました。聖書の命令形、命令法は恐怖の対象ではなく、たとい今はできなかったとしても、神の恵み、聖霊の働きによっていつの日にか可能となるという希望の対象となったからです。

 この命令形の読み方を教えてくれたのは、阪神チャペルセンターの牧師、廣瀬利男先生でした。

 ですから命令形を恐れる必要はありません。「自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」(20節)という命令、勧告に対し、プレッシャーを感じる必要はないのです。神である私は、あなたがその「自分のからだ」(20節)を通して、神の栄光を現すことができるようにしてあげよう、いや、必ずそうしてあげるのだという、有り難い約束として読めば良いのです。
                       「ファミリーチャーチねやがわ」HPより



さらにある本を読んでいると、以下のように記されていたのです!

「神を愛するとは、神の命令(掟、新共同訳)を守ることです。その命令は重荷とはなりません。主なる神が命令(掟)を守る力を与えてくださいます」 『宮村武夫著作Ⅰ 愛の業としての説教』より


諸先輩の先生方のように美しい日本語ではありませんが、
私が皆さんにお勧めしている3点は「間違ってないぞ~」と、
遠くから言われたような気がして少々嬉しくなった次第です。

明日の礼拝でも主の教えを喜びとし、口ずさみ、
恵みの応答をさせていただきたいのです♪

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